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隠退牧師 holala によるブログ

恵みの上に恵みを

 この12月の待降節、ヨハネ福音書の1章を思いめぐらして過ごしています。父の独り子は恵みと真理に満ちていた(14節)とあり、さらに私たちは「恵みの上にさらに恵みを受けた」(16節)とあります。

 この「恵みの上に恵みを受けた」、これは何を意味しているのかと思うと同時に、自分はこの恵みを受けて今日まで生かされてきたことも確かです。そこで私の場合、「恵みの上に恵みを受けた」とはどういうことなのか、自分の信仰を振り返り、自分にとってそれは具体的にどういうことなのか、言い表すことが大切なのではないかと導かれました。

 独り子は真理に満ちていました。イエス様は真理を語られました。いくつもの真理を語られました。神の言葉として、私たちが信じ、その上に立って生きる土台としての真理をいくつも語られました。独り子は真理に満ちている方です。

 独り子は恵みに満ちていました。恵みとは受けるものであり、同じ恵みを繰り返し受けることもありますし、今まで受けたことのない恵みを受けることもあります。「恵みの上に恵みを受けた」は次々に異なる恵みを受けるというより、むしろ日々恵みを受けつつ生きるということではないかと考えます。

ヨハネ 4:14
しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。

 泉からは常に水が湧き出ます。滾々(こんこん)と湧き出る水を日々飲むことができます。これは言い換えると恵みの上に恵みを受けることと言ってよいと思います。私は日々聖書を思いめぐらしていますが、聖書の言葉を味わう、これは私にとっては、恵みです。聖書を思いめぐらす生活は恵みに恵みを受ける生活ではないかと思いました。この世に生きていく上で、私を導く本当に確かなもの、それはみ言葉です。

 信仰を持つ以前の若い頃、このような恵みがあるとは知りませんでした。信仰を得て、そして聖書を思いめぐらすことを通してこの恵みを知りました。この恵みは求めて与えられる恵みです。そして永遠の命に生きるとはこの恵みに生きることであると受けとめています。

ヨハネ 5:25
はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。

 日々み言葉を思いめぐらし生きることができる、それが私にとって恵みの上に恵みを受けることと確認できてうれしく思いました。

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サネカズラ