クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

束縛される思い

 私たちは、自分は自由にものを考えていると思っているのではないでしょうか。しかし案外私たちは束縛されていると思います。自分は劣っているという思いから抜け出ることができなくて劣等感に縛られている人がいます。明日はどうなるのだろう、ああなったら、こうなったら、と心配から抜け出ることができず思い煩う人がいます。人を妬み、ねたむ思いから抜け出ることのできない人がいます。死の恐れにとらわれている人、憎しみや赦せない思いに縛られている人。案外私たちは、縛られた思いで生きているのではないでしょうか。

 私は信仰によって、色々な思いから解放されてきました。だから自分は相当自由だと思っていました。しかし、そうでないことが昨日判明しました。私は今老いの中にあって、どのように老いを生きたら良いか模索中です。自分はいつ死んでもおかしくないという思いがあります。年をとるとは、自分の死を意識することだと思います。

 自分はいつの日か死ぬ人間であると考える、ここに束縛がありました。このように考えるとなかなかここから抜け出ることができなくなります。「自分はいつの日か死ぬ人間である」と考える、ここには神さまがいません。そして自分が主語です。神さま抜きの思考です。この思考に自分が束縛されていたことに気づきました。

 私はキリスト者です。ですから、次のように考えるべきだと思いました。神さまはいつの日か、私を天に召される、と。神さまが主語です。そこで私は神さまに召される日を待ちつつ、生きていこう、と。「私は死を待つ人間である」ではなく、「私は神さまの召しを待つ人間である」と。なんかうれしくなりました。信仰者ですから、神さまを見あげる必要がありますし、神さまを見あげて歩んでいきたいと思いました。

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頭だけ出しているタンポポ