クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

死と向き合って

 定点観測ではありませんが、老いた者の心理というか気持ちを確認したいとの思いがあります。そこで最近の思いを記録します。

 今日は奈良高畑教会で教会員の葬儀がありました。家族葬として行われましたが、教会員も人数は限られましたが出席していました。私はインターネットを通してリモート参加です。大切な人を喪ったご遺族の上に慰めを祈ります。

 人の死を分類するとまず一人称の死があります。これは自分の死です。次は二人称の死。あなたと呼ぶ人の死、つまり近親者の死を意味します。そして三人称の死。自分とは関係のない人の死、他人の死です。新聞の訃報欄、テレビでの有名人の訃報のニュースなどはほとんど三人称の死です。この死は日常的に起きる普通の出来事です。当たり前の出来事で、これが起きたからと言って人は不思議に思うことはありません。近親者の死は、頻繁に起きることではありませんが、大きな悲しみをもたらします。そして人は自分の死を体験することはできません。

 折に触れ訃報に接してきました。自分がいつ死んでもおかしくない年齢に達したことを思います。そして自分の死を迎える準備、覚悟が少しずつできてきて心が落ち着いてきたように思います。人は年をとればそれなりに自分の死を受け入れる気持ちができていくと思います。多くの人が、死は誰にも起きることとして受けとめると思います。私はキリスト者なので、死は言い換えると神さまのもとに召されるときと受けとめます。子供の頃、遠足に行く前の日の楽しみのように、神さまと会うのを楽しみにして、その時を迎えたいと思うようになりました。

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蝋梅 馬見丘陵公園 2022.2.12