クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

落胆を恐れずに祈る

 ふと「無難な祈り」、そんな言葉が心に浮かんできました。

 もう昔の話しですが、教会員の息子さんが病気になったとき、共に祈りました。神さまはきっと癒やしてくださると励まし一生懸命共に祈りました。まだ若く、小さな子供さんがいます。

 「イエス様、あなたはあなたのもとに連れてこられた病人を皆癒やされました」

と訴え、「この兄弟も癒やしてください」と祈り求めました。あるいは

「求めなさい、そうすれば与えられるとあなたは約束されました」

と訴えて祈りました。しかし残念ながらその息子さんは癒やされませんでした。葬儀が終わった後、私は気が抜けたようになり、病人の癒やしを祈る気持ちになれませんでした。

 一生懸命に必死に祈った祈りが聞かれない経験をすると、一生懸命に必死に祈ることにためらいを感じるようになります。もし願い通りにならなかったら落胆するのではないか、と考えるのです。ためらいを覚えるようになります。落胆を恐れることが私たちの祈りに影響を与えることがあります。

 日々書き留めた祈りの課題を祈っています。それらのひとつひとつを必死に一生懸命になっているかと言ったら、そうではなく、淡々と祈っています。すぐに結果を求めたい祈りなら、必死になるかもしれませんが、執り成しの祈りは必ずしも結果がすぐに現れることを求めて祈っているわけではありません。かなえられるのに「時」があると思うので、忍耐強く祈り続けます。

 今日は、切に祈り求め願いがかなえられなかったときの落胆を思い、切に祈ることにためらいを感じてはいけないと教えられました。なぜ、願いがかなわなかったのか、その理由は分かりません。分からないからと言って、祈りをためらうのは、不信仰になると思いました。私たちの信じる神さまは、真実な神であり、気まぐれな神ではないからです。落胆してもいい、しかし祈り続けよう。七転び八起き、ということわざもある。真実な神に信頼し、落胆を恐れず祈る、これも大切なことと自分を戒めました。

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クロガネモチの実 縁起を担いで庭に植えられています 散歩道