私は祈るとき、次のような告白を時々します。
私はあなたが真実な神であると信じます。
信仰者は神について色々なことを信じます。たとえば神はいつも共にいてくださると信じます。神は必ず導いてくださると信じます。神は私の罪をすべて赦してくださると信じます。しかし、時に自分が信じていることを本当だろうかと疑うときがあります。私たちに迷いが生じるのです。人間とはそういうものだと私は考えています。迷いが生じない信仰者、信仰に固く立ち続けることができる信仰者っているのかと思います。そういう人がいたっていいんです。ただ私は、迷いを生じない信仰者ではないし、迷いを生じる信仰者として生きています。
それで上に書いた告白です。神が「真実な神である」ことを信じることに対して、私は迷いはありません。信仰者として生きるとは、神を真実な方とすることだと思います。そしてこの告白をして頭を垂れる、それは神を崇めることになるのではないかと思っています。
この告白をするようになってから、実は信仰の迷いがなくなったというか、吹っ切れたというか、信仰者として清々しく生きることができています。この「あなたは真実な神であると信じます」という告白は不思議な告白だなと思っているこの頃です。