聖書の中で親しみを感じる第一の人は使徒パウロです。親しみといっても、友だち感覚になるわけではなく、大切な人という感じです。私にとっては信仰の師というか、偉大な先輩です。伝道者としても尊敬すべき存在です。そして何よりも模範となる信仰者です。私が心に刻んでいるパウロの言葉の一つはこれです。
第一コリント 11章1節
わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。
パウロに倣えばキリストに倣う者になると教えられます。牧師であったとき、自分もこのような言葉を語る者でありたいと願ったことでした。ではどのようにしてパウロに倣えばいいのか、です。パウロの手紙には色々な勧めが書かれています。
フィリピ 2:3~5
何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。
自分の周囲にいる人の私より優れている点を発見して劣等感を抱いた私です。劣等感などを抱かず相手を優れた者と考えればよいのですが、プライドが邪魔していたことを思い出します。
最近驚かされたパウロの言葉はこれです。
第二コリント 12章19節
わたしたちは神の御前で、キリストに結ばれて語っています。愛する人たち、すべてはあなたがたを造り上げるためなのです。
福音を宣べ伝え、教会を造ってきたパウロの心にある思いが書かれています。「あなたがたを造り上げる」、これが伝道者の心なのです。深い言葉だと思いました。
そして私が若いときから注目してきたパウロの言葉、私を捕らえたパウロの言葉がこれです。
ガラテヤ 2:20
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。
この言葉は、私の信仰生活の目標となった言葉でした。こういう告白ができることがすごいというか、素晴らしいというか、想像もできない言葉です。心に刺さり、心に刺さるパウロの言葉忘れられない言葉です。