主イエスは、十字架につけられる前の晩、弟子たちと食事をしました。その中で、主イエスは弟子たちに裂かれたパンをわたしの体、杯に入ったぶどう酒をわたしの血とし、これを食べ、飲むように命じました。そして代々の教会は、これを礼拝の中で行ってきました。私たちの教会では聖餐と呼んでいます。
このパンと杯を飲むことの第三番目の意義について紹介します。
(3)過越の食事
主イエスは過越の食事の時に、パンと杯を弟子たちに与えました。神はイスラエルに年に1回、過越の祭を祝うように命じました。この祭の時、イスラエルの民は各家庭で過越の食事をします。この過越の祭はイスラエルを救った神さまの御業を思い起こすことに目的があります。
昔イスラエルの民は、エジプトにおいて奴隷として苦しい生活をしていました。彼らはその苦しい生活からの救いを求めて神に叫びました。神はその叫びに応え、イスラエルを救います。イスラエルの民がエジプトから解放される前夜、神は一つのことを民に命じます。家ごとに小羊を屠り、その血を家の入り口のドアの上の部分に塗るというのです。この血はこの家に住むのがイスラエル人であることを示します。そして夜中、神の使いがエジプトのあらゆる家に災いをもたらします。ただしイスラエルの家の前を神の使いは通り過ぎた(過ぎ越した)のです。エジプトの大惨事が起き、エジプト王はイスラエルの民にエジプトから出て行くように命じました。エジプトを脱出したイスラエルの民はやがてシナイ山の麓に行き、そこで神と契約を結びます。この救いの出来事を毎年思い起こすように神はイスラエルの民に命じたのです。
十字架で殺された主イエスは、過越の小羊として葬られました。そこで主イエスは私たちを罪の支配から解放するために十字架で死なれたと理解することが可能ですし、そう理解することが大切だと思います。
主イエスが世に出る前に、先駆者として登場した洗礼者ヨハネは、主イエスのことを「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と語りました。私たちを罪の支配から救い出す神の小羊と語ったのでした。
私たちは礼拝の聖餐式の中で、パンとぶどう酒をいただくとき、十字架で流された主イエスの血の働きを覚えます。
- 罪の赦しのために流された血
- 契約を結ぶために流された血
- 罪から解放するために流された血
私の願いは多くの一人でも多くのクリスチャンが、主イエスは私たちを罪から解放するために血を流されたことを信じ、その救いの恵みを受け取ることです。