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隠退牧師 holala によるブログ

聖霊によれば神の子

 聖書は不思議な書物です。読んだことのある箇所を読んで、新たな発見をすることがよくあります。そして喜びが与えられます。今回読んだのはローマの信徒への手紙の最初の部分です。

ローマ  1:2~4
この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。

 御子は「肉によれば」「聖霊によれば」と二つの観点から語られます。二つの観点から人を見る、これは御子に限られていない、私たちにも当てはまると発見しました。

 まず御子は「肉によれば」。つまり人間としてはダビデの子孫から生まれました。同時に聖霊によれば、神の子と定められたとあります。そもそも神である方が人となり、イエスという名がつけられました。そしてイエスは十字架で死に三日目に復活されました。

 この復活を通して、イエスは神の子であることが明確になりました。神さまは復活したイエスは、キリスト(救い主)であり、神の子であるといわば宣言されたのです。そして聖霊に導かれるとき人は、イエスがキリストであり、神の子であると認識するようになります。

 復活したイエスは天に上げられ、神の子として天におられますが、信仰者と共にいてくださり、信仰者を導いてくださいます。

 そこで私たちです。私たちも肉によれば、両親から生まれました。そしてキリスト者になった私たちは、聖霊によれば「神の子」なのです。これはすでに聖書に書かれていることです。パウロは語ります。

ガラテヤ 3:26~27
あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。

 私たちがキリストを着ているとは、神さまの目に私たちがキリストに見えるということです。神さまはキリストを信じる者を神の子と見るということです。

ローマ 8:14
神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。

 私たちは聖霊に導かれ、イエスを主であると告白しキリスト者になります(コリント一12:3)。

 肉によれば私たちは人間の子、聖霊によれば神の子です。

 キリスト者は神の子である、このことを信じ、喜ぶ信仰者がどれほどいるのかと危惧します。信じさせないようにする力が信仰者に働くのです。悪魔がささやくのです。

  • 「お前が神の子、ちゃんちゃらおかしい。だって、ちっとも神の子らしく生きていないじゃないか。信仰を持つまえと少しも変わっていない。自分が神の子だなんてよく言うよ」
  • 「お前のような者を神が、神の子にするだって。そんなデタラメ、本気で信じるの。ありえない、ありえない」。

 人間の心の内からも声が聞こえます。

  • 「こんな私が神の子だなんて、どうかんがえてもおかしい。私は神の子らしく振る舞うなんてできない。どう考えても神の子らしくない」

 かくして少なからぬ信仰者は、自分が神の子とされていることを本気で信じないし、神の子として生きようとしません。

 しかし聖書は言うのです。

御子は肉によればダビデの子孫から生まれ、聖霊によれば神の子と定められた。

 そして私たちも

肉によれば両親の子、聖霊によれば神の子。

(続く)

サクランボ 奈良公園