クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

聖霊によれば神の子(続)

1.ふさわしさの問題

 イエス・キリストを信じるあなたは神の子です。神さまはあなたを神の子と見てくださいます。ところが、「あなたは神の子らしくない。神の子にふさわしくない」との声が外から、内から聞こえてきて、キリスト者である自分が神の子であることを信じない(信じられない)人たちが少なくないのです。

 私たちの救いはイエス・キリストを信じることによって得られます。自分の行いの結果として私たちは救われるのではありません。つまり私たちは救いに全く値しない人間なのです。だからイエス・キリストを信じて救われます。これは繰り返し礼拝説教でも教えられるので、この教えをキリスト者は受け入れます。

 しかし心のどこかで、自分が救いに全く値しないということを否定したくなるのです。自分はそれなりによく生きているのではないかと思いたいのです。さらに言えばプライドがあるのです。しかし救いに関しては、自分は救いに値しないことは理性では認めます。教会で繰り返し教えられているからです。

 しかし「あなたは神の子です」と言われると、神の子と呼ばれるふさわしさは自分にはないと考えてしまいます。心の中にはいつも、自分にはふさわしさがあるのではないかとの思いがあるのです。しかし神の子と呼ばれるほどの自信はないので、神の子とされていることを信じることができないのです。

 そもそも神の子とされるふさわしさなど私たちにはありません。イエス・キリストを信じることによって恵みによって救われるように、神の子と呼ばれるのは神さまの恵みによるのです。神さまの好意なのです。自分は神の子とよばれるにふさわしくないなどというのは、見当違いなのです。ふさわしさなど私たちには全くないのです。神さまは恵みによって、イエス・キリストを信じるあなたを神の子にしようと言ってくださるのです。

2.私たちの親子関係

 あなたは親で子供がいたとします。あなたの子供が言います。「僕は勉強はできないし、お父さんやお母さんのいうことに反抗して怒られてばっかりで、良い子ではありません。僕は、お父さんの子、お母さんの子と呼ばれる資格がありません」などと言ったらどうでしょうか。

 あなたはきっと言います。「あなたは私の子です。あなたが良い子だろうと悪い子だろうと、そんなことは関係ありません。あなたは私の大切な子です。あなたは生まれたときから、私の大切な子です」。

 私たちは親にふさわしいから、その親の子になるわけではありません。最初から、親の子なのです。

 神さまも「あなたが神の子にふさわしいから、神の子になるのではありません。イエス・キリストを信じるあなたは私の子、神の子なのです」と言われるに違いありません。もしふさわしさを言うなら、イエス・キリストを信じる人が神の子と呼ばれるのにふさわしいのです。

3.神の子とされたことを喜ぶ

 そこで大切なことは、恵みによって神の子とされたことを喜ぶことです。私たちには神の子とされるふさわしさはありません。しかし救いの恵みとして神さまは私たちを神の子と見てくださり、愛してくださいます。それはルカ15章にある放蕩息子のたとえで明らかにされています。

 大切なことは、神の子に自分がふさわしいかどうか考えることではなく、神の子にされたことを喜ぶことです。救いの恵みを喜ぶことです。放蕩息子の物語を読んで、父親の財産を食いつぶしてもう息子と呼ばれる資格はありませんと父親に言う覚悟をもって家に戻った息子を父は歓迎し、息子として受け入れました。きっと放蕩息子は喜んだことと思います。そのように私たちも神の子とされたことをまず喜びましょう。喜ぶことができるまで、放蕩息子のたとえを読み思いめぐらしましょう。喜べたとき、そこから信仰生活が始まります。つまり神の子として生きていこうとの思いが与えられます。これは聖霊の導きによって与えられる思いだと私は信じます。

 天の父よ、イエス・キリストのゆえに、私たちは救われ、神の子とされていることを感謝します。このことを喜び、神の子として生きていこうとの思いを与えてください。そして一歩一歩、あなたの子として生きることができるように助け導いてください。聖霊の助けを与えてください。イエス・キリストの御名により祈ります。

サラサドウダン

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私たちは神の恵みによって救われます。
私たちは自分の行いによって救われるのではなく
神の恵みによって救われます。
私たちは自分の行いに神の子とされるふさわしさを得るのではなく
恵みによって神の子とされます。