この頃、切実に思わされることがあります。今は妻と二人の生活をしていますが、この生活ができなくなる日が来ることを思います。片方が介護を必要とする状態になったり、天に召されたりするときが来ます。残された方はひとりの生活を始めます。始まれば、段々その生活に慣れていくのでしょうか。
忘れられない人がいます。その方は山中湖の別荘地域に一人で住み、日曜になると礼拝のために御殿場教会の礼拝に出席されていました。教会員です。教会員の交わりを大切にされていました。「イエス様が共にいてくださるので私は孤独ではありません」とおっしゃっておられました。心に残る言葉です。
いつかその日が来るにせよ、今、二人で力を合わせながら過ごすことのできる日々は貴重であり感謝なのだと思わされます。決して当たり前の日々ではありません。このことを段々と意識するようになってきました。
牧師をしていたとき、教会員の葬儀をしました。残された方がひとりの生活を始めます。その頃は、ひとり残された方の気持ちがどんなものか想像することはできませんでした。思いやる余裕もありませんでした。今、奈良高畑教会の祈祷会には、夫婦揃って出席している方が私を含めて5組います。皆さんの日々が守られ、二人の生活が続けられるようにと祈っています。
私は毎朝の朝食を作っています。週に2回夕食を作っています。スパイスカレーが好きなので毎週作り、もう一回の夕食は短時間でできるものを作っています。老人夫婦の食べる量は少ないので簡単な料理で間に合います。妻の家事負担を軽くし、私自身の生活力を高めることになると思っています。食事の面では、ひとりの生活は心配ないという状態になれたかなと思います。
たといひとりになっても感謝の日々を送りたいです。
老いた今、備えあれば うれいなし
面倒がらず 料理を作る二人して 今日の一日 歩むなり
聖書を読んで 感謝の祈りいつまでも 我は汝と 共にいる
約束される わが主に感謝