クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

厳かな命令

 久しぶりに説教奉仕の機会が与えられ準備しています。説教テキストはテモテへの手紙二4章6~8節を選びました。それでこの手紙全体を読んでいると、4章の最初の言葉を読んで懐かしく感じました。

テモテ二 4:1~2
神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。

 牧師としての歩み始め、日曜日毎に説教をするようになったとき、この聖書の言葉と向き合うようになりました。説教という働きを厳粛に受けとめました。自分は神の御前で説教準備をするのであり、神のまなざしの下に置かれていることを思うと、畏れを覚えました。それはしかし苦にはなりませんし、説教者としての姿勢が整えられ、よかったと思っています。

 書店に行くと自己啓発本が沢山書棚に並んでおり、いかにすれば仕事をこなし、成功できるかというアドバイスが書かれています。しかし説教という務めは、成功が約束されてはいません。ただただ誠実にそして謙遜に神に仕え、教会に仕え、信徒に仕えてなす働きです。

 パウロはローマの信徒への手紙の最初で、ローマを訪問し、力になりたい、励まし合いたいと書いています。説教するとは、聞き手の力になり励ましを与えることであると知るとき、自分が話す言葉にそんな力があるのだろうか、と思います。しかしそれが求められるのが説教であると考えると畏れを覚えます。しかし祈り、聖霊の導きを得て説教原稿が仕上がるときには、感謝の思いが湧いてきます。

 聞き手の力になり励ましを与える説教となるように祈りつつ準備をしています。

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