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隠退牧師 holala によるブログ

神の約束に生きる人

 今週の日曜日の説教奉仕で、「神の約束に生きる」と題して説教しました。説教との関連で妻が私に話してくれたことがあります。それはヨシュアとカレブのことです。

 イスラエルの民はエジプトでの奴隷状態から解放され、広々とした肥沃な土地に連れて行くという神の約束を与えられていましたが、それを信じませんでした。約束の地を前にして、神に信頼して前進しようと鼓舞したヨシュアとカレブ以外は皆、エジプトに戻ろうと心をかたくなにしました。神は民の頑なさに怒り、荒野での40年の生活を命じました。エジプトに戻ろうと不信仰な態度を取った人たちは40年の間に死んでしまいました。つまり約束の地に入ることができませんでした。その子供たちの世代の民を神は導き、約束の地に住まわせることになりました。40年後神の約束は実現しました。

 妻は、ヨシュアとカレブは40年荒野の生活をした後、約束の地に入ったことを指摘しました。この二人は神に信頼し、約束の地に行こうとイスラエルの民に語ったのです。励ましたのです。しかし民の不信仰の巻き添えで、約束の地に入ることができず、40年の荒野の生活をしました。40年の荒野での生活を忍耐したのです。その後、約束の地に入りました。

 私はこの二人に注目することはありませんでした。妻の指摘を受けて彼らがどんな思いで40年を過ごしたのかと思いめぐらしました。

 イスラエルの民が不信仰に陥らなければ、自分たちもイスラエルの民も約束の地に入ることができたのにと、ヨシュアとカレブはイスラエルの民を恨んだのでしょうか。最初は恨んだかもしれません。でも40年も恨み続けることはむずかしいと思います。40年の間忍耐を続けるのは大変なことです。約束の地に入ることをあきらめたのでしょうか。気持ちが萎(な)えても不思議ではありません。

 あるいは彼らは神の心に目を向けたかもしれません。神の心にはイスラエルの不信仰に対する怒りと、これほどまで助けたのにイスラエルの民に信じてもらえない悲しみ、あるいは民に対する絶望みたいなものがあったかもしれません。

 40年の荒野の生活の中でこの神の心を思った時、ヨシュアやカレブはどんな気持ちになったのかと思います。聖書には書かれていませんが、荒野の生活の中でイスラエルの民に「神に信頼しよう」と訴え続けたかもしれません。特に訴えることもなく、淡々とあきらめることなく忍耐強く、神の約束の実現を信じて荒野の40年を過ごしたのかもしれません。モーセの後継者となるヨシュアにとって、この40年、モーセと共に過ごしたことは良い経験だったと思います。

 神の約束を信じなかった世代の人々が皆死んだ40年後、ヨシュア、カレブは約束の地に入りました。40年の忍耐の後に神の約束の実現を見ました。信仰者にはこういう時もあるのだと考えさせられる聖書の話です。彼らこそ、神の約束を信じて生きた人たちです。

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