罪から解放される、これは福音です。これこそ福音です。
ヘブライ人への手紙 12:1
こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、
罪を捨てるとは、罪と戦うことです。勝利を約束された戦いです。
コロサイ 1:13
御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。
クリスチャンは御子の支配下に置かれています。天におられるキリストが味方です。勝利は約束されています。信仰者はこのことを信じて歩みます。
生き方の転換があります。新しい人として生きようとの決断、転換です。
エフェソの信徒への手紙 4:20~24
しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。
古い人を脱ぎ捨て、新しい人を身につけます。古い人はキリストと共に死にました。キリストが復活されたようにキリスト者は新しい命に生きます。つまり新しい人にされているのです。罪から解放されたという信仰的事実、キリストに結ばれ新しく生まれたという信仰的事実に立ち、生きていきます。やがてそれが目に見える結果を生み出し、神の救いの恵みの証人とされます。
洗礼を受けたキリスト者は賜物として聖霊を受けます。信仰者のうちにあって聖霊は、御言葉に生きるように励ましてくれます。聖霊の導きを祈り求め、新しい人として生きていきます。
かつてエジプトを脱出したイスラエルの民は、エジプト王の支配から解放され、自由に生きることのできる地へ導くという神の約束を与えられました。その土地を目指して旅をします。ところが困難、試練が起きます。どうしたらいいのでしょうか。神の約束を信じ、神さまに助けを求めればよかったのです。しかしイスラエルの民は不平を言いました。こんなことならエジプトにいた方がよかったと。
クリスチャンは神の国を目指してこの人生を生きます。人生は神の国を目指す旅です。この旅にも色々なことが起きます。その時どうするか、です。古い人ではなく、新しい人として決断し生きていきます。信仰者の旅を導く杖は、信仰と聖書つまり神の言葉です。
具体的な罪に打ち勝つ証しが教会の中に満ちていく時、教会の伝道は盛んになると信じます。