クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

人生航路の第二段階(7)罪との深刻な戦い

 キリストと共に死んで葬られた信仰者は罪から解放されました。罪の支配から解放され、罪に打ち勝つ者とされました。とはいえ罪は信仰者に働きかけます。信仰者は聖霊の助けを得て勝利できます。しかしキリスト者は時に深刻な罪との戦いに直面します。

ローマ 7:18~20
わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

 「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている」とあります。善とは、神さまの御心です。神さまの御心に従おうと願う時、それを妨げる力が働き、気づいてみると善を行わず、望まない悪を行っているということが信仰者の身に起こりそうになります。いや起こります。

 神さまの御心に従いたくないという思いが、私たちの心にあるのです。私の中に罪が住んでいると書かれています。つまりどうしようもないほどの自己中心が私の心にあるのです。キリストに結ばれていると信じ、神の御心に従おうとする時に、キリストに従おうとする時に、恐れや自己保身、プライドが頭をもたげ、御心に従うことに猛烈に抵抗するのです。心の中は葛藤が渦巻きます。自分が直面している現実から逃げたくなります。「私は罪深い人間だ」と言って、逃げてしまうことがあります。

 人は時に「その神さまの御心に従うことは無理です」と言い訳をし、自分の頑なさを隠し、自分の罪と向き合うのを避けることがあります。

 しかし聖霊の助けを祈り求め、思い切って一歩を踏み出す時、助けを与えられ、プライドが打ち砕かれ、自分の無力さ、惨めさを受け入れることができるようになる時があります。

 このような心の中の葛藤の中にあって、神さまの助けを信じて行動する時、プライドや、恐れ、自己保身、自己中心から解放され、キリストに結ばれて自由な人間へと私たちは変えられていきます。自然と感謝の思いが湧き出てきます。

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