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隠退牧師 holala によるブログ

神の永遠の聖定(3)キリストのもとに一つ

 神さまが世界を創造される時にあらかじめ決定されたいたことを永遠の聖定と言います。聖書を読む中で、この永遠の聖定を知ることができます。今回取り上げるのもエフェソの信徒への手紙からです。

エフェソ 1:7~10
わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。

 神が天地創造の時にすでに決めておいたことが「秘められた計画」と呼ばれます。それが今や「私たちに知らされた」とエフェソの信徒への手紙の著者は書きます。それは何かと言えば、「救いの業が完成され」る時、つまり世界の終わり、終末の日が来た時、あらゆるものが頭(かしら)であるキリストのもとに一つにまとめられるというのです。

 聖書の教えによれば、世界には初めがあり終わりがあります。神さまが天地を創造しました。私たちが生きている世界、全宇宙を含めた世界が造られました。そしてこの天地には終わりの時が来ると聖書は語ります。その時、あらゆるものがキリストのもとに一つにまとめられるというのです。

 世の多くの人にとって世界に終わりがあるとは信じがたいことだと思います。しかし私は思います。キリストがこの世に生まれ、救いの御業を成し遂げた後、教会が誕生しました。そして教会はイエス・キリストが救い主であると宣べ伝え続けてきました。そして今日も教会はキリストを宣べ伝えています。

 私は思います。教会は一つのしるしであると。つまり人々がキリストにあって一つである存在、それが教会です。教会の存在は、世の終わりにキリストのもとに一つにまとめられることのしるしであると。

 私は死を越える希望について漠然と考えません。聖書がそれなりに明確に伝えているからです。このエフェソ書は、あらゆるものがキリストにあって一つにまとめられると語ります。それがどのようなものかは想像はできません。

 しかし私たちが生きているこの世界の現実は、争いに満ち、人々は分断化され、争い、憎み、平和がありません。色々な問題が満ちている世界です。家族という身近な関係においても、人間は平和を造ることに困難を覚えています。世界の将来に希望を抱くことのできる人は少ないと思います。

 しかし教会は、キリストのもとに人々が一つとなる場です。聖書には互いに愛し合いなさい、と書かれています。それだけでなく色々な教えがあります。互いに相手を自分より優れた者と考えなさい、赦し合いなさい、心を合わせ思いを一つにしなさい。色々な教えがあります。教会って本当に素晴らしい、信仰者の集いだと思います。愛の交わりがあるからです。教会が愛の共同体であることは人類のこれからの歩みで注目されるのではないかと期待しています。

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