ヨハネ 15:4
わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。
この文章は約束を語っています。私(たち)が主イエスにつながるなら、主イエスも私(たち)につながってくださるとの約束です。
主イエスにつながるのは私(たち)です。つながるとは具体的にどういうことなのでしょうか。主イエスは「わたしにつながっていなさい」と命じます。どうすればいいのでしょうか。それは一人ひとりの信仰者が礼拝説教を聞き、自分で聖書を読み、祈り、信仰生活をする中で実践することです。
主イエスにつながっていないならどうなるのでしょうか。
15:6
わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。
私たちが主イエスにつながっていなければ、私たちの人生は終わったも同然となります。つながることはとても大事です。ではつながるとはどうすることなのでしょうか。
- 主イエスに祈ること
- 主イエスの言葉に聞き従うこと
- 主イエスに信頼すること
- 主イエスに倣(なら)って生きること
- ???
主イエスは私たちにつながっています。つまり私たちが主イエスにつながろうとするなら、主イエスは私たちに応答してくださいます。
そして主イエスがつながってくださっているから、私たちは主イエスにつながろうとします。信仰に生きるとは、主イエスとの交わりに生きることであることが分かります。そこで興味深いのが7節です。
15:7
あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。
「いつもある」と訳された言葉も、「つながる」と訳された言葉と同じです。「つながる」と訳すと、「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたにつながっているなら」となります。
主イエスの言葉が私につながってくれるのです。私が主イエスにつながるとは、主イエスの言葉が私につながることとなります。
- 「主イエスの言葉が私につながる」とは、どういうことでしょうか。
- あなたはどのように主イエスにつながっているのでしょうか?