クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

人生航路の第二段階(27)ぶどうの木の枝のイメージ(続き)

ヨハネ 15:4
わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。

 この文章は約束を語っています。私(たち)が主イエスにつながるなら、主イエスも私(たち)につながってくださるとの約束です。

 主イエスにつながるのは私(たち)です。つながるとは具体的にどういうことなのでしょうか。主イエスは「わたしにつながっていなさい」と命じます。どうすればいいのでしょうか。それは一人ひとりの信仰者が礼拝説教を聞き、自分で聖書を読み、祈り、信仰生活をする中で実践することです。
 主イエスにつながっていないならどうなるのでしょうか。

15:6
わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。

 私たちが主イエスにつながっていなければ、私たちの人生は終わったも同然となります。つながることはとても大事です。ではつながるとはどうすることなのでしょうか。

  • 主イエスに祈ること
  • 主イエスの言葉に聞き従うこと
  • 主イエスに信頼すること
  • 主イエスに倣(なら)って生きること
  • ???

 主イエスは私たちにつながっています。つまり私たちが主イエスにつながろうとするなら、主イエスは私たちに応答してくださいます。

 そして主イエスがつながってくださっているから、私たちは主イエスにつながろうとします。信仰に生きるとは、主イエスとの交わりに生きることであることが分かります。そこで興味深いのが7節です。

15:7
あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。

「いつもある」と訳された言葉も、「つながる」と訳された言葉と同じです。「つながる」と訳すと、「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたにつながっているなら」となります。

 主イエスの言葉が私につながってくれるのです。私が主イエスにつながるとは、主イエスの言葉が私につながることとなります。

  • 「主イエスの言葉が私につながる」とは、どういうことでしょうか。
  • あなたはどのように主イエスにつながっているのでしょうか?

仙人草 散歩道