クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

人生航路の第二段階(45)救いの恵み~霊の導き

 キリスト者が神の御心に従う歩みを始めると大きな悩みに直面します。自分は神の御心に従いたいと願いますが、それに反抗する思いが心の中にあることに気づくのです。

 昔になりますが、夜の祈祷会をしているとき、一人の韓国人女性が教会を訪ねてきました。困っているので助けて欲しいとのことでした。言葉が通じないので、彼女の状況を知るのに時間がかかりました。助けを求められたので何とかしたいと思いました。善きサマリア人のたとえがありますから。彼女は観光ビザで日本に来ているので仕事をすることは許されません。でも仕事をしたのです。雇い主がきちんと給料を払ってくれない、何とかして欲しいと教会に来たのです。弱みを利用されたわけです。

 何とかしてあげたいとの思いがあります。同時に自分に何ほどのことができるのか、無力感と恐れがありました。彼女の雇い主のもとに行って話をすればよい、それが自分に求められていることと考えました。しかし悪どいことをする人ってどんな人か分からないし、雇い主のもとに行くことに恐れを覚えました。恐れと無力感が出かけることをためらわせます。最終的には祈って出かけました。話し合いにはなりませんでした。無力感を抱きながら戻りました。でも彼女からは感謝をされました。

 神の御心に従おうとするとき、それに逆らう色々な思いが湧いてくる経験をしないキリスト者はいないと思います。パウロは、そんなキリスト者のことをこう語っています。

ローマ 7:15
わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。

ローマ 7:17
そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

ローマ 7:24
わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。

 私たち人間の本性は腐敗しています。このことは昔から人間には原罪があると言われてきました。生まれつき人間の心は神と隣人を憎む方に傾いています。これは、御心に従おうとするとき、妨げる力となります。

ガラテヤ 5:17
肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。

 肉というのは人間の腐敗した本性のことです。霊は、聖霊の導きのことです。キリスト者の心は戦場です。神の御心に従いたいとの聖霊の導きと、腐敗した本性から来る抵抗。しかし、ここに約束があります。

ガラテヤ 5:16
わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

 霊の導きは肉の欲望に負けないというのです。勝利するとの約束がここにあります。キリスト者の内におられる聖霊なる神さまは、私たちの力です。

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