クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

訃報が続く

 老いの時期は、人生の終わりに向かって歩む日々です。先週から訃報が続きました。訃報を聞くと、心のなかにさざ波が立ちます。聞き流すことができません。私の所に届く訃報は、教会関係、特に牧師関係の訃報です。私が若いときの先輩牧師たちの訃報が続きます。『信徒の友』という月刊誌には、牧師の移動に関する報告があり、そこには召された牧師の名前を見ることができます。

 「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ10:17)。訃報を聞くことによって何が始まるのでしょうか。「あなたの生涯の終わりは遠くはないね」と訃報は語りかけます。若い時と違って少々気が滅入ります。キリスト者として対策を考えます。

 どんな気持ちで老いを生きているのか、人によって違うと思いますが、私の身には寄せては返す波のように気が滅入ることが繰り返し起きてきます。牧師で福音を宣べ伝えていたのに、信仰が弱いのね、と言われるかも知れませんし、言われてもよいと思っています。太陽に向かって歩くと後ろに影ができるように、信仰には、疑い、不安が付きまとうものだと私は考えています。だから神の助けを求めます。

「信じます。信仰のないわたしをお助けください」(マルコ9:24)。

 汚れた霊につかれた子を持つ父親の告白は、自分の告白だと思っています。

 今回あらためて思ったことは、自分がどこに向かっているかを見失ってはいけないということでした。エジプトを出て自由に生きる土地を目指して旅をしているイスラエルの民に試練が何回も訪れます。食糧がなくなる、飲み水がなくなる、敵が攻めてくるなど試練が訪れます。多くのイスラエルの民は、試練を前にして落胆し、嘆き、神に不満を持ちます。神が示してくださった目的地を忘れてしまいます。キリスト者は、神の国という目的地を目指しています。繰り返し、自分は目的地に向かっているキリスト者であることを確認することが大切と思います。

 影を見ないためには太陽に向かって歩むことが大切です。御言葉という太陽に向かって歩むことを今回は教えられました。

イザヤ 46:3~4
あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。

イザヤ 46:9~10
 思い起こせ、初めからのことを。わたしは神、ほかにはいない。わたしは神であり、わたしのような者はいない。わたしは初めから既に、先のことを告げ/まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。わたしの計画は必ず成り/わたしは望むことをすべて実行する。

天の父なる神、
あなたの御言葉の中で休らぐことができますように。
あなたの御言葉が私を背負ってくださるように。
あなたの計画の実現を信じ、待ち望みます。

キンモクセイ 教会へ行く道で