エジプトの奴隷状態であったイスラエルの民は、その苦しさから、神に助けを求めて叫びました。その願いに神は答え、イスラエルの民をエジプトから解放し、自由に生きることのできる土地へ導かれます。イスラエルの民は意気揚々とエジプトを出ました。その土地まで荒野の旅をします。エジプト軍が追いかけてきたり、飲み水がなくなったり、食べ物がなくて困ったりと試練が訪れます。たとえば、エジプト軍が追いかけてきた時、イスラエルの民は不平を言います。
出エジプト 14:11~12
我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。我々はエジプトで、『ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです』と言ったではありませんか。
荒野で食べ物がなくなった時も民は不平を述べます。
出エジプト 16:3
イスラエルの人々は彼らに言った。「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」
神は追ってきたエジプト軍を滅ぼし、食べ物のないイスラエルの民のために天からマナを降らせ、民を救いました。そしてついに約束の地を目の前にするところまで来ました。しかしこれから向かう地には強そうな民がいるということでイスラエルの民は前進することをためらい、言います。
民数記 14:2~3
イスラエルの人々は一斉にモーセとアロンに対して不平を言い、共同体全体で彼らに言った。「エジプトの国で死ぬか、この荒れ野で死ぬ方がよほどましだった。どうして、主は我々をこの土地に連れて来て、剣で殺そうとされるのか。妻子は奪われてしまうだろう。それくらいなら、エジプトに引き返した方がましだ。」
結局、ほとんどのイスラエルの民は神に助けを求めず、約束の地に入ることができず、荒野で亡くなりました。神に助けを求めれば約束の地に入り、自由な民として生きることができたのに。
イスラエルの民はエジプトでの奴隷状態からの解放を願いましたが、本気ではありませんでした。本気なら、そのことを態度で示します。イスラエルの場合、どんな時も神に助けを求めればよかったのです。罪からの解放も同じです。本気かどうか。