クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

主と共にある平安の日々

 月曜日のブログに「毎日単調な日々を過ごしていると、ふと自分は何のために生きているのだろうという思いが心をよぎります」と書きました。

 友人から来た手紙の中に「How can I keep from singing」(私は歌わずにはおれない)という言葉と共に友人の詩が書いてありました。今週、こういう題の英語の讃美歌があるのではないかと調べたらありました。讃美歌の歌詞と友人の詩は異なっていました。友人は、詩を書かずにはおれない自分の気持ちを「How can I keep from singing」と書いたのです。

 私は、英語の讃美歌をユーチューブで聞き、歌詞を確認しました。すると「私の喜びと慰めが消えたとしても、主が生きている。暗闇が私を取り囲んでも、主は歌を与えてくれる」という歌詞があり、立ち止まって考えました。

 喜びと慰めが奪われて望みがなくなっても主が生きておられる、と励ましが歌われています。それなら「単調な日々」とは言い換えると、「主と共にある平安の日々」であるとの思いが湧いてきました。心のどこかで、単調な日々→何もしていない→大事なことができていない、と考え、その挙げ句、自分は何のために生きているのかなどと考えたのだと思いました。

 苦しく暗闇の中にいる時でも主が共におられることを信じて生きるなら、単調な日々は主の守りの中にある日々として感謝し、もっと喜んでいいと思いました。心が喜ぶのを頭が押さえているように思えて、心を解放したいと思いました。意義ある日々を送らなければならないという考えに縛られていたのかもしれません。

 そこで思い出して、『わたしはよろこんで歳をとりたい』(イェルク・ツィンク著 こぐま社)をひらいて、探しました。

かつて自分がやったことは
いまは若い人の課題
いまは 若い人たちが
よくやってくれるようにと願い
神の助けを 祈っている