クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

人生航路の第二段階(64)罪からの解放とは

5 罪からの解放とはどういうことでしょうか。キリスト者は本来、罪から解放された存在です。この解放されたキリスト者を成熟したキリスト者と呼ぶことにします。私たちが洗礼を受けキリスト者になったからといって突然成熟したキリスト者になるわけではありません。言い換えるとキリスト者というのは、成熟を目指して成長する者であると考えることができます。成熟の過程で、罪からの解放を経験していきます。

1.罪から解放されるとは、まったく罪を犯さなくなることではない。

 キリスト者が罪をまったく犯さなくなるのは神の国に迎えられた時です。言い換えると、この世に生きる限りキリスト者は、この世にあって罪を犯す可能性があるし、罪を犯します。

2.罪から解放されるとは、具体的なある罪を犯さなくなることを意味すると考えます。

 パウロは語りました。

ローマ 7:15~17
わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。・・・
そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

ローマ 7:18~20
わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

 わたしの中に住んでいる罪のために、私たちには神のある戒めに従おうとしても従うことができない、そういう戒めがあります。この戒めを実行できるようになる、それが罪から解放されることと考えます。

3.罪から解放されるとは一回限りのことではない

 私たちは生活の中でさまざまな状況に遭遇し、新たに実行できない戒めに直面します。その都度、この戒めを実行できるようになる、それが罪から解放されることと考えます。罪から解放されるとは一回限りのことではありません。

 実行できない戒めが実行できるようになるのは、キリストの助け、聖霊の助けを得てのことです。キリスト者は恵みの支配下におり、神の助けを得ることができます。それゆえ、本気で願い、本気を行動で現せば、今までできなかった戒めを実行できるようになります。本気で行動に現すとは、戒めに従う行動の一歩を踏み出すことです。一歩を踏み出せば、世界が変わります。戒めに従うことのできたことに驚きと感謝と喜びが訪れます。神さまの恵みの中に生かされていることをはっきりと知るようになります。

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