クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

人生航路の第二段階(68)無力さの告白

 罪から解放されるために、罪は敵であることを認識することが大切です。使徒パウロは、私たちが罪を犯さざるを得ないのは、私たちのうちに罪が住んでいるからであると語りました(ローマ 7:17,19)。

 敵がいることを認識しないと、罪を犯すのは自分が罪深いからだと考えます。するとこの考えに縛られて身動き取れなくなります。この縛られた状態から抜け出ることはできません。

 解放のための第一歩は、この敵に対して自分が無力であることを認めることです。自分の力では打ち勝つことができないことを認めることです。しかし人間にはプライドがあるので、自分の無力を認めることは簡単ではありません。

 自分は罪に打ち勝つ努力を怠ってきた、あるいは真剣に打ち勝とうとしなかった。もっと努力をすれば、さらに真剣に取り組めば打ち勝てると考えます。そして失敗してもまだ努力が足りなかったとか、言います。やがて「自分は罪深い者である」というタコ壺に入ってしまいます。そこから出ることはありません。キリスト者といえどもなかなか自分の無力を認めないのです。解放のための第一歩は自分の無力を認めることです。

 エジプトで奴隷状態であったイスラエルの民は、自分たちの力で自分たちを、奴隷の苦しみから解放させることはできませんでした。エジプト王の前に無力であることを彼らは認めました。そして彼らは神に助けを求めて叫んだのです。

 以前牧会していた教会で、アルコール依存症の人たちの自助グループの会合が教会で行われていました。教会は会場を提供していたのです。この教会に赴任して何年か、私はその会合に出席しました。そこで分かったことは、依存症の人は酒をやめようと思えばいつでもやめることができると言い訳をしながら飲み続けているそうです。アルコールに対して自分が無力であることを認めたくないのです。自分の無力を認めないと回復の道が始まりません。その会合では12ステップと呼ばれる文章を参加者が全員で唱和します。

第一ステップ
私たちはアルコールに対して無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。

第二ステップ
自分を越えた大きな力が、私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになった。

 こうして自分を越えた大きな力の助けを求める歩みが始まります。この12ステップは、聖書をもとにしていると思います。

 私は罪からの解放も同じだと考えています。まずは、自分の無力さを認めるところから始まります。次に神に助けを求めます。

讃美歌312
いつくしみ深き 友なるイエスは、
罪とが憂いを とり去りたもう
こころの嘆きを 包まず述べて
などかは下(おろ)さぬ 負える重荷を

ノジギク 春日大社萬葉植物園