クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

人生航路の第二段階(69)キリスト者の死と復活

 人はキリストを信じると告白して洗礼を受けるとキリスト者になります。礼拝に出席し、聖書を読み祈る中で、神の教えに従おうと志します。ある時、神の教えに従えないし、従いたくないという思いに直面します。使徒パウロはこう言います。

ローマ 7:15~17
 わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

 律法つまり神の教えに従おうと願いますが実行できないのです。かえって反対のことをしているというのです。それは自分の中に住んでいる罪のせいだというのです。この状態を罪の支配下にある、または罪の奴隷であると言います。どうしたら罪の支配下から自由になることができるのでしょうか。

 まずは、自分が無力であることを認めること、そして神の助けを求めることです。自分の努力で解決できる問題ではありません。キリストの十字架と復活がキリスト者の助けとなります。

ローマ 6:3~4
それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。

 洗礼を受けた者はキリストに結ばれ、キリストと共に葬られ、キリストの死にあずかるものとなりました。キリストに結ばれたキリスト者は死んだのです。

ローマ 6:6
わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。

 キリストに結ばれたキリスト者が死んだとは、古い自分、罪を犯してしまう自分が死んだということ、罪に支配された体が滅びたということです。これは信仰的な事実であり、信ずべきこととなります。実感できることではありません。私たちのうちに神の出来事が起きたのです。

ローマ 6:8
わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。

 キリスト者はキリストと共に死にましたが、キリストが死者の中から復活したようにキリスト者はキリストと共に生きることになります。キリスト者は新しく生まれ変わりました。神の御心に従うことができるものとして生まれ変わりました。

 洗礼を受けた人はキリストに結ばれます。そして礼拝生活をし、聖書を読み、神の御心に従いたいという思いが心の中に育ちます。キリストの心を持つようになります。神の御心に従いたいとの思いを持ちます。でも従いたくないあるいは従えないという神の戒めに直面します。その時、思い起こします。自分はキリストと共に死にキリストと共に新しく生きるようになり、神の御心に従うことができる者に生まれ変わったことを。

 まずはこのことを信じます。やがて少しずつ実感するようになります。

哲学の道(京都)