罪に打ち勝つために神さまの助けを求めて一歩踏み出すことを昨日書きました。実行できないと思っている神の教えに従う歩みに踏み出すのです。一歩踏み出すことを語る時に私が用いるたとえがあります。紹介します。
ある人が山道を歩いていました。ふと見ると谷を渡る橋がなくなっています。向こうまで10mほどの小さな谷ですが、橋がなければ渡ることができません。助走をつけてジャンプしても10mは飛べません。困りました。目的地向かうためには向こう側へ行かなければなりません。
思案をしていると声が聞こえてきます。「大丈夫だ。渡れるよ。見えないけど橋はあるんだ。谷の向こうに大きな木があるね。そこを目指して歩けばいいんだ。橋は見えない。でも橋はある。信じて向こうを目指して歩けばいいんだ」。
下を見ると谷は深く、落ちたら助かりそうもありません。聞こえた声が神さまの声だとしたらどうするか、です。
聖書には、橋があると信じて歩き出した人がいます。主イエスの弟子のペトロです。マタイ福音書14章にその話しがあります。弟子たちは舟に乗ってガリラヤ湖を渡ろうとしていました。逆風が吹いているので思うように進めません。時間だけが過ぎていきます。すると湖の上を歩いてくるような人が、こちらに近づいてくるような人影が見えます。弟子たちは幽霊だと言っておびえ、恐怖のあまり叫びました。
するとその人が近づいて「安心しなさい。わたしだ」と語ります。主イエスだと分かったペトロが言います。「あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」。すると主イエスは「来なさい」と言われました。ペトロは舟から下りて水の上を歩き、主イエスの方に近づきました。しかし強い風に気がつき、怖くなった途端、沈みかけました。
「主よ、助けてください」とペトロは叫び、主イエスが手を伸ばして捕まえてくださり、二人は舟に乗り込みました。主イエスは言います。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。
今まで、従えないと思っていた神の御心、本当は従いたくないと思っていた神の御心。思い切ってそのみ心に従おうと一歩踏み出しても、
谷底に落ちることはありません。
水の中に沈むこともありません。
だ~か~ら
思い切って、御心に従おう!
そして新しい信仰の世界を見よう!