主イエスは神の戒めを二つの戒めに要約しました。神を全身全霊をもって愛すること、自分のように隣人を愛することの二つです。
神を愛するってどういうことでしょうか。信仰者の神に対する態度として、神をたたえる、神を崇める、神を畏れ敬うなどの表現があります。では神を愛するとはどういうことでしょうか。神を信じる宗教は色々ありますが、神を愛することを教える信仰はキリスト教の特徴だと思います。
聖書はまず神が私たちを愛されたことを教えます。
ローマ 5:8
しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。ヨハネ一 4:10
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。ヨハネ一 3:1
御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。
ですから神を愛するとは、この神の愛に応答することと言えます。聖書によれば、神に愛され、神を愛する、それがキリストを信じる信仰です。そこでヨハネの手紙は神を愛することについてこう教えます。
ヨハネ一 5:3
神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。
神の掟を守ることがどうして神を愛することになるのでしょうか。納得のいく答えを見つけるまで時間がかかりました。そのおかげでわたしは喜んで神の戒めを守る努力をする信仰者になりました。
信仰とは、神との交わりに生きることです。結婚は二人の人間が愛し合って、お互いの存在を大切なものとし、お互いの心を大切にし共に生きていくことです。信仰に生きる者は、神の御心を大切にします。そして神の戒めは人間を祝福するものと信じるので、わたしは神の御心を大切に考え、神の戒めを喜んで受け入れこれに従います。
信仰とは神との交わりであり、神に愛され、神を愛する関係に生きることです。そして神の御心を大切にするので神の戒めを守ります。神を愛する人は神の戒めを守ると理解することができ、神を愛する者として生きることができるようになりました。ありがたく感謝なことです。