クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

永遠を思う心

 年末になると思うことがあります。柏木哲夫医師の言葉で「人は生きてきたように死んでいく」という言葉があります。とても印象的でした。柏木医師は淀川キリスト教病院のホスピスで働かれ多くの人の死を看取ってこられました。その経験から出た言葉です。

 自分の行く手には死があるので、死があることを覚え、今いかに生きるべきかを考えることの大切さを教えられました。今さえ楽しければよいという生き方をする気にはなれませんでした。

 キリスト者になってからは、自分の行く手に待っているのは、自分の死だけではなく、キリストの再臨、最後の審判があることを聖書から教えられます。最後の審判によって人間は最終的な救い、あるいは滅びに向かうとの教えは緊張をもたらします。

 しかしキリスト者はイエス・キリストを信じることにより義とされているので、最後の審判を恐れる必要のないことを教えられますし、キリスト者としてふさわしい歩みをしていけばよいと教えられてこれまでの人生を歩んできました。

 そして年末になると、自分の行く手にある死とキリストの再臨、最後の審判を思います。人は生きてきたように死んでいくなら、どのように生きたのかが最後に明らかになります。悔いのないように生きていきたいと思います。

 最近心に浮かび、心に留めている聖書の言葉があります。「神は永遠を思う心を人に与えられる」(コヘレト3:11)です。人は生きている時は、移ろいゆく時の流れに生きています。時の流れの中で生まれ、そして死んでいきます。その人間に「永遠を思う心」が与えられているというのです。それなら、精一杯、永遠を思いたいと考えます。

 第一に思うことは、私は与えられています。そこで「永遠を思」いたいと考え始めました。キリストを信じる者には永遠の命が与えられているという言葉は繰り返し繰り返し新約聖書に出てきます。

 年末に際し、永遠の命の希望のあることを心に留ます。

今朝の味噌汁 ジャガイモ、ソーセージ、ネギ