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隠退牧師 holala によるブログ

人生航路の第三段階(9)タラントンのたとえ

 主イエスは天国を語るとき、タラントンのたとえを話されました。マタイ福音書25章14節以下。ある人が旅行に出かけるとき、僕(しもべ)たちを呼んで自分の財産を預けました。それぞれの力に応じてひとりには5タラントン、別の僕には2タラントン、3番目の僕には1タラントン預けました。

 かなりの日がたってから僕たちの主人が帰ってきて清算を始めました。どれくらい儲けたのかを主人はチェックしたのです。5タラントン、2タラントン預けられた僕はそれぞれ預けられたと同額を儲け、主人から「よくやった」と喜ばれました。三番目の僕は主人は厳しい人だから商売で失敗して預かった1タラントンを失うことを恐れ、何もしませんでした。彼は主人から役に立たない僕と見なされ、外の暗闇に放り出されたとあります。

 これは天国のたとえだと主イエスは教えました。どういうことでしょうか。人は神から賜物を与えられて誕生します。その賜物をどのように生かして人生を生きたのか、そのことが神から裁かれることを教えています。

 人は自分と他者を比較します。能力の違いを知ります。自分の能力の小ささを悲しみ、嘆きます。あるいは能力のある人を羨み、嫉妬したりします。別な人は自分の才能を誇り、優越感に浸るかもしれません。

 ある時、気づきました。沢山のタラントンを与えられた人は、それだけ多くの働きをすることが求められると。牧師仲間でも有能と思われる人は色々な役割を与えられて多くの働きをしています。やりがいがあるかもしれませんが、それはそれで大変なのではないか、と思いました。それで自分と人の比較をやめ、自分は与えられた賜物を活かせばよいと悟りました。そして終わりの日の裁きの時に、「あなたはよくやった」と神さまに言われることを願うようになりました。

 最後の審判は、それが裁きであるゆえに恐ろしく感じます。罪に対する裁きについては、イエス・キリストを信じ、義とされているので心配はありません。

終わりの日がきたなら 裁きの座を見あげて
わが力の限りに 心を高くあげよう
讃美歌2編1番

 忘れてならないのは、与えられた賜物をどのようにいかして生きたのか、それを神さまはご覧になります。神さまの評価を励みにして自分の賜物を感謝して用いることが大切だと考えます。そのようにして私は生きてきました。

ホトケノザ 馬見丘陵公園