クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

信仰者の交わり

 今日教会で葬儀が行われました。牧師を隠退し葬儀を司式することはなくなりましたが、一つ心に残ることがあります。伴侶を喪った教会員へのフォローをどうしたらいいのか、それが問いとして心に残っています。

 夫婦であれば、どちらかが先に召され、残された方はひとり暮らしとなります。核家族化した現在、ひとり暮らしをすることが多いと思います。伴侶喪失の悲しみを背負っていくことになります。高齢化した教会には、このようにひとり暮らしをする教会員が何人もおられます。人は悲しみを負っても、それでも生きていきます。ひとり暮らしでも近場に子供や子供家族がいれば、気は紛れるかもしれません。でもひとりで食事をするとき、寂しさが募るのではないかと推測します。

 私が金沢元町教会に赴任したとき、教会を会場としてアルコール依存症の人たちの自助グループの会が行われていました。参加者が自分の思いを語り合うのを互いに聞きます。参加者は互いの思いを分かち合い、それを励みにして飲まない生活を続けています。私もしばらく参加を求められたので参加しました。自分の現実を語り聞いてもらうのはいいなと思いました。同じ悩みを持つ者の集いですから、互いの話に共感できます。また正直に話しても恥ずかしいことはありません。自分ひとりではないと思うと、励まされます。

 そこで伴侶を喪った人たちが集い、自分の思いを語り合う会が行えるといいなと思います。信仰者の集会なので、聖書を読み、互いのために祈り合う集いができたら、支えになるのではないかと思います。

 思い出す人がいます。女性教会員が夫を天に送りました。夫婦とも教会員でした。彼女は息子家族と同居していましたが、深い悲しみに沈んでいるように見えました。手紙のやりとりをしましたが、悲しみがひしひしと伝わってきました。

 ある時、祈祷会に出席している姉妹が、彼女を祈祷会に誘いました。彼女を車に乗せて一緒に教会に来ました。その頃の祈祷会は、牧師が聖書を教えるのではなく、参加者が聖書を読んでの思いを語り合うのが中心の会でした。互いの話しを聞くのは楽しく、笑いもあり、参加者も少しずつ増えていきました。そんな交わりの中に入った彼女は見違えるように変わりました。信仰者の交わり、聖書と祈りの交わりが彼女を支えました。とても元気に礼拝、祈祷会、家庭集会にも参加するようになりました。やがて「私はいつ死んでもいい」と話されるようになりました。神の国の希望にしっかり立つようになられたのだと思いました。信仰者の交わりの力を感じました。

馬見丘陵公園 2023.2.4