クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

人生航路の第三段階(13)神の国での永遠の命

 信仰を考えるときに、「すでに」と「いまだ」という二つの焦点を考えることが大切です。つまり永遠の命は「すでに」キリスト者に与えられていますが、完全な形では「いまだ」与えられていないということです。次の聖句がそのことを示しています。

コリント一 13:12
わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。

 私たちは今、つまり「すでに」鏡におぼろに映ったものを見るように神を見ており、神について一部を知っています。しかし「いまだ」顔と顔を合わせるように神をはっきりとは見ておらず、神をはっきりとは知りません。しかし「そのとき」、つまり神の国が到来するとき、顔と顔を合わせるように神を見、神のことをはっきり知るようになるというのです。

 神と私たちの結びつきがはっきりするので、私たちは栄光に輝く神を見、神のことをはっきり知って、神をたたえるようになります。神の国で永遠の命に生きるとは、神の栄光を仰ぎ、、神をたたえることと言ってよいと思います。そして私たちも罪のないキリストの似姿に変えられ、神との永遠の交わりの中に生きることとなります。

 だから今、ぼんやりとしか見ていなくとも、神さまのすばらしさを仰ぎ見て、神さまをたたえて生きていきたい。

春日大社萬葉植物園