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隠退牧師 holala によるブログ

神の愛を知る(3)御父と御子の対話

ヨハネ一 4:10
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。

ヨハネ 3:16
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

 上の二つの聖句は、神が御子をこの世に遣わしたことに神の愛が示されていると語ります。御子は御父によって世に遣わされることをどのように受けとめたのかと私は考えます。御父は御子に、「わたしはあなたを世に遣わしたいが、どう思うか」と御子の気持ちを聞いたと思います。そして御子は御父の意向を受け入れ世に遣わされたと考えます。御父は御子にどのように語ったのかと想像します。

御父:「御子よ、わたしは人間を救うためにあなたを世に遣わしたいと考えている。どう思うか」
御子:「救い主として世に遣わされることには何も問題はありません」
御父:「わたしがあなたを世に遣わすとき、あなたは人間として世に生まれる。人間として育つ。人間として活動する。人々を教え、神の力を現す。でも最後にあなたは人々によって殺されることになる」
御子:「わたしは神であるのに、人間になるというのですか。人間として活動し最後に殺されるというのですか。神であるわたしが救い主として世に遣わされ、人々から歓迎されるのではなく、殺されてしまうと言うのですか」
御父:「そうなのだ。御子が死ぬことを通して救いの出来事が起きるのだ」
御子:「人間を救うために、神である私は人間となり、救い主として歓迎され受け入れられるのではなく、殺されるけど、そこに救いの出来事が起きるというのですか」
御父:「そうなのだ、御子よ」
御子:「何で神であるわたしが人間にならねばならないのか。さらには殺されるなんて」

 これは私の勝手な想像です。私はさらに想像します。神さまが私に語られます。

神:「わたしはあなたを蟻(アリ)の国に遣わしたいと考えている。アリたちを救いたいのだ。私はアリたちを愛しているので、彼らを救いたい。そのためにあなたはアリとなってアリの国に行って欲しい。アリの救い主となって欲しい。そしてわかりにくいことだが、あなたが死ぬことによってアリの救いが実現するのだ」
私:「お言葉ですが、私はいやです。アリの救いのために私の命を犠牲にするなんて承服できません。アリの命と私の命どちらが大切なのですか。人間としての私のプライドがアリになることを許しませし、アリのために命を捨てるなんて、考えられません」
神:「考え直してもらえないか。私はアリたちを愛しているのだ」
私:「私はアリを愛していないので、自分の命を犠牲にすることはできません」

 アリと人間は違います。人間は神にかたどって造られました。アリは虫です。人間にかたどって造られたわけではありません。

フィリピ 2:6~7
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。

 私は人間の身分でありながら、人間であることに固執します。アリにはなりません。しかし御子は神の身分でありながら、神であることに固執せず、人間になってくださいました。なぜでしょうか。

タンポポ 春はそこまで