先週は詩編116編のデボーションをしました。ディボーションというのは、聖書を読み思いめぐらし、神さまの導きを求める読み方です。20数年このやり方で聖書を読んできました。
この詩篇の15節の言葉が素敵です。
主の慈しみに生きる人の死は主の目に価(あたい)高い。
(新共同訳)主の聖徒の死はそのみ前において尊い。
(口語訳)主に忠実な人たちの死は、主の目に重い。
(聖書協会共同訳)Precious in the sight of the LORD
is the death of his saints.(KJV)
信仰者のことが「主の慈しみに生きる人」、「聖徒」、「主に忠実な人たち」、"saints" と訳されています。そしてその死は、「価高い」、「尊い」、「重い」、"precious" と訳されています。信仰者の死は主の目に価値がある、尊いものであるとのありがたい言葉です。
信仰者の「死」は文字通り死を意味しているのか、それとも信仰者の「生涯」「人生」を意味しているのか、と考えます。私は「生涯」「人生」と考えたいです。そして主の目に「価高い」、「尊い」、「重い」は、信仰者の人生が神に喜ばれるものであると解釈してよいだろうと思います。
信仰者の死、それは神に生かされ、神と共に生きてきた人生が幕を閉じることを意味します。自分の人生が神に喜ばれるものであるなら、それはうれしいことですね。
死は人生の終わりですが、神の国への出発の時でもあります。死は仕方なく受け入れるものではなく、神に喜ばれる人生を送ることができたことを感謝し、御国への旅立つ時として受け入れることができるのではないかと詩編を読み思いめぐらしました。