クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

アブラハムから学ぶこと

1.神の約束を信じる

 アブラハムは75歳の時に神から声をかけられ、約束と命令を聞きました。彼はその約束を受け入れ、神の命令に従いました。自分の人生を神の約束にゆだねました。
 信仰とは、神の約束を信じること、その約束に自分の人生をゆだねることと受けとめます。キリスト者にも色々な約束が与えられています。

2.約束を信じる信仰には疑いが伴う

 神からの約束、それは彼の子孫が増えるということでした。アブラハム夫婦に子はいません。しかも二人とも年老いています。そして何年か過ぎて子を授かりません。約束は実現しないのではないかと思っていると再び神が彼に語りかけました。

創世記 15:5
主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる」。

 アブラハムは空の星を見、今一度神の約束を信じました。

 しかしなかなか子は授かりません。ついにアブラハムは99歳になりました。神がアブラハムに現れ言いました。「わたしは全能の神である」。そして妻のサラによって子が授かると約束されました。するとアブラハムは笑い、心ひそかに、子が授かるはずがないと疑ったのです。


 信仰に疑いは伴います。アブラハムは私たちと同じ信仰者です。特別立派な信仰者だったわけではありません。疑いは抱くけれども、それでもなお信じる、それが信仰と教えられます。疑うことは不信仰ではありません。疑いと戦う、それも信仰です。疑うから、また神に対する信頼も深まります。

3.約束を信じて生きる

 神の言葉通り、妻のサラによりアブラハムは子を授かりました。アブラハムが100歳。サラは90歳です。全能の神が為し得るわざです。そして何年かして神がまたブラハムに声をかけます。

創世記22章2節
「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」

 独り子を献げよというのです。献げるためにはいのちを奪わなければなりません。献げたら、神の約束はどうなるのでしょうか。アブラハムには子供がいなくなります。神の約束を神の命令は矛盾しています。

 アブラハムは、神の命令に従いました。神は必ず約束を実現すると信じて。たとい息子のイサクが死んだとしてもなお神は彼の子孫を増やすことができると信じて。

 神はアブラハムが神の命令に従うのを見て、彼を神を畏れる者と認め、イサクを献げるのをやめさせ、代わりに献げる羊を神はアブラハムに与えました。

 「わたしは全能の神である」との神の言葉を信じ、神の約束を信じ、アブラハムは神の命令に従いました。約束を信じ抜いて生きること、神の命令に従うこと、それが信仰であるとアブラハムから学びます。アブラハムは神との関わり、神との交わりに生きたのです。

 神はその愛する独り子を私たちの救いのために十字架に献げられたことが心に残ります。

ノイバラ 散歩道