マタイ福音書8章をディボーションしました。1~4節では重い皮膚病の人が登場します。
マタイ 8:2
すると、一人の重い皮膚病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。
彼はイエスに対する信仰を言い表しています。イエスは彼を清くすることができると信じています。清めるとありますが、重い皮膚病は汚れとみなされていたので、清めるとは、この皮膚病をいやすことを意味しています。
彼は、イエスが自分の皮膚病をいやすことをよしとされるかどうかが気がかりでした。そこで「御心ならば」と語り、イエスが自分をいやすことが御心にかなうなら、いやしてくださいと願ったのでした。
5~13節では百人隊長がイエスのもとに来て嘆願します。
マタイ 8:5~6
さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。
イエスが、あなたの家に行こう、と言うと百人隊長はこう言います。
8:8
「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。
百人隊長もイエスが彼の僕(しもべ)をいやすことができると信じていました。さらに彼は「ただひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます」と語ります。これはイエスが神のような存在だと告白しているようなものです。創世記の最初で神が言葉を発するとそれが出来事となっています。
イエスはあなたの信じたとおりになるようにと言われました。その時、百人隊長のしもべは癒されたとあります。
重い皮膚病の人も、百人隊長も、信仰をもってイエスに近づいたのでした。そこで思います。弟子たちがガリラヤで復活したイエスに会ったとき、イエスが弟子たちに語った言葉があります。
マタイ 20:28
わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。
「いつもあなたがたと共にいる」と言われた言葉は、あなたにも、私にも言われた言葉なのでしょうか。それともイエスの弟子たちだけに言われた言葉なのでしょうか。キリストの教会は、このイエスの言葉はキリスト者一人びとりに向けてイエスが語った言葉と理解します。
復活の主は、私に向かって「わたしは世の終わりまで、いつもあなたと共にいる」と言ってくださったのです。すると一つ問題が起きます。私は、いつも共にいてくださる復活の主イエスとどう関わったらよいのか、との問いです。自分が困ったときだけ、助けを求めればよいのでしょうか。重い皮膚病の人や百人隊長が信仰をもってイエスに近づきました。では私はどのような信仰をもって復活の主に近づいたらよいのでしょうか。