創世記の冒頭にアダムとエバが登場します。彼らは神の命令を破り、罪を犯したことが書かれています。
創世記 2:16~17
主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。
ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」。
創世記6章には、大地に増え広がった人間が罪を犯していることに目を留めた神の行動が書かれています。
創世記 6:5~7
主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する」。
神が後悔したとあります。後悔には二つの解釈があります。神が創造した人類は、大地に広がりましたが、常に悪いことばかりを思い計るようになりました。神が後悔したとは、人間の創造は失敗だったと考えたことです。でも神が失敗するというのは考えにくいことです。第二の解釈は、神が後悔するほど人間の罪はひどかったということです。
神は大洪水を起こし、ノアとその家族以外の人類を絶やしました。私はノアの洪水の物語は、人間の罪に対して神は怒る方であることを教えていると理解します。同時に、神は人間を愛して人間を造られたことを信じます。
旧約聖書には神がイスラエルの民を神の民として選んだことが書かれています。イスラエルの民は神の民として、神との関わりに生きるべく召された民でした。
聖書が伝える神は、天から地上世界を見渡し、善を行う者を祝福し、悪を行う者に罰を与え、人間の営みを見ておられる神ではありません。人間との関わりを持つ神です。神は人間を愛し、人間から愛されることを喜びとする神です。そのような神であることを知らせるために、神はイスラエルの民を選びました。
神がご自身に似せて人間を造られたとき、神は男と女を造りました。このことは人が他者との関わりに生きることを教えています。そして人間が関わる第一の他者とは神です。
旧約聖書は、神に選ばれた民であるイスラエルが神に対して罪を犯したことを告げます。さらに神の民が建国した国家は、神の裁きとして滅亡してしまいました。旧約聖書は、人間が神の前に罪を犯す者であることを明らかにしています。
神は世の初め、人間を造られるとき、人間が罪を犯すことをご存じでした。イスラエルの歴史は人間の罪を明らかにするものであり、イスラエルの歴史を通して人間の罪が明らかになってから救い主を送るというのが神の計画でした。
そしてその救い主は神の御子だというのです。なぜ神の子? 神の子ってなに?