ヨハネ福音書は、「罪」についてどんなことを語っているのか、ふと思い立ちヨハネ福音書を読んでみました。
洗礼者ヨハネは、イエスについてこう言いました。
ヨハネ 1:29
その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」。
イエスは「世の罪を取り除く」というのです。世の罪、どういうことでしょうか。ヨハネ福音書では「世」という言葉が頻繁に使われています。「わたしは世の光である」とイエスは語りました。世はこの世にいる人々を意味することがあります。世の罪を、この世に住む人々の罪を取り除くと理解します。
では罪を取り除くとはどういう意味でしょうか。「取り除く」と訳されたギリシャ語が聖書の他でどのように使われているかを見てみます。
ヨハネ 15:2
わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。
実を結ばない枝は取り除かれるとあります。枝がぶどうの木から切り落とされてしまうのです。
コリント一 5:2
それにもかかわらず、あなたがたは高ぶっているのか。むしろ悲しんで、こんなことをする者を自分たちの間から除外すべきではなかったのですか。
ここでは「除外する」と訳されています。
エフェソ 4:31
無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。
ここでは「捨てなさい」とあります。
次に、「罪を取り除く」の意味を探るために、ヨハネ福音書では、イエスを信じた人をどのように描いているのかを見てみます。
ヨハネ 3:3
イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ヨハネ 8:12
イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」。ヨハネ 12:46
わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。ヨハネ 15:5
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
イエスを信じる者は、新たに生まれた者であり、命の光を持ち暗闇の中を歩みません。暗闇の中にとどまりません。さらに豊かに実を結ぶとあります。
これらのことを踏まえるとき、「罪を取り除く」とはどういう意味になると思われるでしょうか。