クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

罪を取り除くイエス(3)罪からの自由

 洗礼者ヨハネは、イエスについてこう言いました。

ヨハネ 1:29
その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」。

「罪を取り除く」ことの意味を考えるために、ヨハネ福音書にあるいくつかの言葉を紹介しました。今回は、ヨハネの第一の手紙にも、この言葉があるので紹介します。

ヨハネ一 3:5
あなたがたも知っているように、御子は罪を除くために現れました。御子には罪がありません。

 今回は、この手紙の3章6節と9節も紹介します。

ヨハネ一 3:6
御子の内にいつもいる人は皆、罪を犯しません。罪を犯す者は皆、御子を見たこともなく、知ってもいません。

3:9 神から生まれた人は皆、罪を犯しません。神の種がこの人の内にいつもあるからです。この人は神から生まれたので、罪を犯すことができません。

 この手紙は、罪を取り除かれた人は、罪を犯さないと語ります。罪を犯すことができないとも語ります。そこで疑問が生じます。キリスト者だって罪を犯すではないか、と。罪を犯さないキリスト者がいるのか。いるはずがないと。

 ギリシャ語の文法から考えると、キリスト者は罪を犯し続けることはない、と解釈します。罪を犯してもよいと考え、罪を犯し続けることはしないとの意味です。

 キリスト者は罪を犯すことを当たり前のこととは考えず、罪を犯さないように努力すると理解します。

 キリストを信じないこの世の人たちは、罪を犯していることに気づいていないし、常習的に罪を犯しています。「あなたは罪を犯しています」と言えば、反発してくること間違いありません。

 キリスト者になり、神から生まれたら、全く罪を犯さない人間になるわけではありません。神は私たちを自動的に罪を犯さない信仰者にすることはしません。神は私たちに自由を与えているからです。

 私たちが罪を犯すのには二つ理由があります。第一に罪を犯すように私たちに働きかける力があります。第二に罪を犯すことを喜ぶ心が私たちにあります。たとえば人の悪口をみんなで言い合って喜ぶことを人は楽しんでいます。

 イエスを信じる者に神は恵みを与え、罪に打ち勝つことができるようにしてくださいました。イエスを信じ、キリストに結ばれた信仰者は聖霊の導きを受けて罪に打ち勝つことができるのです。このことを信じるキリスト者は、私は罪を犯してもいいとか、罪を犯すのは仕方がないとか、このようなことは言いません。罪を犯すように働きかける力に負けて罪を犯すことはあるかもしれません。でもそれでいいとはキリスト者は思いません。キリスト者は罪に対して戦うからです。

 「罪を犯しません」とは、罪を犯さない努力、罪と戦う努力をすることを意味します。
 このようなキリスト者の姿を言い表す言葉があります。

 キリスト者は罪の奴隷から解放された!

アジサイ 萬葉植物園