ヨハネ福音書は、「罪」についてどんなことを語っているのか、ふと思い立ちヨハネ福音書を読んでみました。今回取り上げるのは、次の聖句です。
ヨハネ 16:9
罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと
十字架にかけられる前の晩にイエスが弟子たちに語った言葉です。イエスは、弟子たちに自分は父なる神のところへ行こうとしていると語ったとき、弟子たちは悲しみに満たされました。その時イエスは、私は去って行くが、あなたがたのもとに弁護者を送ると語られます。弁護者とは聖霊のことです。聖霊が弟子たちのもとに来ると聖霊は「罪について、義について、裁きについて、世の誤りを明らかにする」というのです。そして「罪についてとは、彼らが私を信じないこと」と語ります(ヨハネ福音書16章9節)。
世の誤りとは、世の人々、特にユダヤ人がイエスを神を冒瀆する者としイエスを十字架で殺したことです。神を信じるユダヤ人が、神が送られた救い主を信じない罪を犯したのです。聖霊はイエスこそメシアであり、イエスを死に追いやるというのがユダヤ人たちの間違いであったことを分からせるというのです。そしてわたしを信じないことが罪だというのです。
罪とはイエスを信じないことである。
どう思いますか。「私を信じないことが罪だ」と誰かが言ったとしたらどう思いますか。傲慢な発言に聞こえますし、うかつにその人を信じることはできません。カルトかも知れないと警戒します。
普通「罪」と言えば、何か悪いことをすることと考えます。だから「私を信じないことが罪」と言われても戸惑いを覚えます。このイエスの言葉は、罪とは何か、深いところから考えるように促します。
イエスは、癒やしの業を行い、人々の注目を集めました。そしてイエスは自分が何者であるかを語られました。
- わたしは命のパンである(6:48)。
- わたしは世の光である(8:12)。
- わたしは良い羊飼いである(10:11)。
- わたしは復活であり、命である(11:25)
- わたしは道であり、真理であり、命である(14:6)。
神は救い主としてイエスを世に送られました。イエスは御自分がいかなる者かを語りました。このイエスを信じないということは、救い主としてイエスを送られた神を信じないことになります。
イエスを信じないことは罪である。
どう思いますか。