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隠退牧師 holala によるブログ

イエスを信じないことが罪(3)

 ヨハネ福音書は、「罪」についてどんなことを語っているのか、ふと思い立ちヨハネ福音書を読んでみました。今回取り上げるのは、次の聖句です。

ヨハネ 8:21
そこで、イエスはまた言われた。「わたしは去って行く。あなたたちはわたしを捜すだろう。だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。」

 ここで「あなたたちは自分の罪のうちに死ぬ」とあります。罪のうちに死ぬとはどういうことでしょうか。罪を犯した状態のままで死んでいくという意味だと思います。

 21~24節の短い段落の中で、「あなたたちは自分の罪のうちに死ぬ」という言葉が3回繰り返されています。24節にはこう書かれています。

ヨハネ 8:24
だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」

 『わたしはある』とあります。これはイエスが、「わたしは世の光である」とか、「わたしは道であり、真理であり、命である」などと語ったことを指しています。イエスが御自分がいかなる存在であるかを「わたしは・・・・である」と語られました。24節は、これを信じないなら、自分の罪にうちに死ぬことになるとあります。イエスが「世の光である」(8:12)こと、イエスが「道であり、真理であり、命である」(14:8)こと、「復活であり命である」(11:25)ことを信じないなら、罪の中に死ぬことになるというのです。

 罪の中に死ぬとどうなるのでしょうか。21節によれば、イエスの行くところに行くことができない、とあります。イエスは父なる神のもとに行こうとしています。帰ろうとしています。罪の中に死ぬ者は、イエスの行くところ、つまり父なる神のもとに行くことができないというのです。

ヨハネ 14:1~3
 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。
わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。

 イエスを信じる者、イエスが「~である」ことを信じる人は父なる神のもとに行くことが教えられます。信じない者は行くことができません。イエスが「~である」ことを信じない者は罪のうちに死にます。

 ここでも、イエスを信じないことが罪であると言われています。罪とは、嘘をつくこととか、人を殺すこととか、そのような悪事を行うことよりもまず、神がこの世に送られた神の御子、イエスを信じないことだというのです。

 「世の光である」イエスを私たちはどのように信じているのか、「道であり、真理であり、命である」イエスを私たちはどのように信じているのか。それが問われます。罪というのは、私たちが神とどのように関わっているのか、そこに見出されると教えられます。

半夏生(はんげしょう) 知人の家で