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イエスを信じないことが罪(5)

 ヨハネ福音書は、「罪」についてどんなことを語っているのか、ふと思い立ちヨハネ福音書を読んでみました。今回、次の聖句を取り上げています。

ヨハネ 8:34
イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。

 ヨハネ福音書7章では、イエスが仮庵祭の時、エルサレム神殿で人々に教えられたことが書かれています。8章もその続きです。ユダヤ人、特に律法学者、ファリサイ派の人たちはイエスに対して反感を持っています。イエスを捕らえ殺そうと考えています。しかしイエスの話しを聞いてイエスを信じたユダヤ人たちもいます。イエスは御自分を信じたユダヤ人たちに対して言います。

ヨハネ 8:31~32
イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」。

 イエスは何でこのようなことを言われたのかと考えます。イエスが神殿で語ったことを信じ、イエスが神から遣わされた方であることを信じたユダヤ人です。このユダヤ人たちが言います。

ヨハネ 8:33
「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか」。

 ユダヤ人たちは、自分たちは自由な人間であると主張し、何かから自由にされる必要はないと考えています。するとイエスは彼らに言います。

「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である」。

 ユダヤ人たちは、自分たちは律法を守っている立派な信仰者であると自負していました。イエスから見るとユダヤ人たちは、自分たちは神の前に正しく生きているとの思いに凝り固まっていました。それなのに、神から遣わされたイエスを信じないのです。ユダヤ人たちは、自分たちは正しいとの思いにとらわれているとイエスは考えられたのでしょうか。それで「真理はあなたたちを自由にする」と語られたと想像します。
でもなぜ、「罪を犯す者は誰でも罪の奴隷である」と言われたのか、よく分かりません。

 でもイエスがユダヤ人たちに対して言われた次の言葉は重要だと思います。
 

8:23
イエスは彼らに言われた。「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない」。

8:46~47
わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。

 罪を犯す者は罪の奴隷という言葉は極端な言葉に思えます。しかし人がどこに属しているのか、そのことの重要性を示しているように感じます。

ヨハネ 8:12
イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」。

ヨハネ 3:19
光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。

 罪を犯すというのは、神に逆らうこと。それは光より闇を好むということ。闇を好むとは、罪の奴隷であること。光を好んでいるのか、闇を好んでいるのか、どちらにあなたは立っているのか、あなたは何に属しているの、あなたのアイデンティティーは何かとイエスが問いかけているように思います。

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