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隠退牧師 holala によるブログ

罪を犯してはならないと命じるイエス

 ヨハネ福音書は、「罪」についてどんなことを語っているのか、ふと思い立ちヨハネ福音書を読んでみました。追加です。

 イエスは「もう罪を犯してはいけない」と二人の人に命じています。5章には38年間病気で苦しんでいた人が登場します。イエスはこの人を癒やされました。そして神殿の境内でイエスがこの人と再び会ったとき、イエスは言います。

5:14
「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない」。

 「あなたは良くなったのだ。もう罪を犯してはいけない」と命じたことは、この人の病気は罪が原因であったとイエスは見抜いていたことを思わせます。それで「もう、罪を犯してはいけない。もっと悪いことが起こるかもしれない」と警告しました。

 「罪を犯してはいけない」とのイエスの命令をどう受けとめたらよいのでしょうか。 8章には、姦通の現場で捕らえられた女性が登場します。この場面でも、イエスはこの女性にこう言います。

8:11
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」。

 彼女の場合は、姦通の現場で捕らえられたとあり、彼女の犯した罪は姦淫となります。イエスが「もう罪を犯してはならない」と命じたとき、姦淫という罪は二度と犯してはいけないと言ったのか。姦淫に留まらず罪を犯してはいけないと言ったのか。

 38年病人だった人にも、「もっと悪いことが起こるかもしれない」と語ったことは、病気を引き起こした罪を繰り返し犯してはならないと言われたのか、それに留まらず、罪を犯してはいけないと言ったのか。どちらなのかと思案します。

 そこから黙想が始まります。私たちは罪を犯しても、イエスによる十字架の贖いを信じて義とされます。義とされることには罪の赦しも含まれます。もし私たちが罪を犯したときに、「赦してください」と祈ったとき、天からイエスの声が聞こえて「もう罪を犯してはいけない」と言われたら、どうしましょう?

 私たちは同じ罪を繰り返す傾向があります。「イエス様、それは無理です」と私たちは返事をするのでしょうか。それとも黙ってそっぽを向くのでしょうか。

 「もう罪を犯してはいけない」、これはイエスのどんな気持ちから出た言葉なのでしょうか。罪を犯す者をイエスはどんな目でご覧になるのでしょうか。

 イエスを三度裏切ったペトロに対して、イエスは「わたしを愛するか」と三度ペトロに問いました。「わたしを愛して生きよ」と言っているかのようです。姦通の現場で捕らえられた女性に対しても、「わたしはあなたを罪に定めない」と語ります。「これからは罪を犯さないで生きていこう」と彼女を憐れみ、励ましているように思います。

 そこで思います。「もう罪を犯してはいけない」とのイエスの声を私はどのように聞くのか。聖書を通して、イエスは私に語っておられると私は受けとめます。

 復活されたイエスは、「わたしは世の終わりまで、あなたがたと共にいる」と言われました。「もう罪を犯してはいけない」とイエスが言われるとき、わたしはあなたが罪を犯さないように助けるよと言ってくださっていると私は信じます。助けてくれないなら、何のために共にいてくださるというのでしょうか。

 「もう罪を犯してはいけない」とのイエスの声をどのように聞くのか。大切な問いだと思います。

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