ロシアがウクライナに侵攻して二年半が過ぎました。ハマスの攻撃に反撃し、イスラエルのガザ侵攻が始まってまもなく一年です。戦いが終結する見込みはありません。クリスチャンだけでなく、多くの人が戦争終結、平和の到来、人々の平和で安全な生活の到来を祈ってきましたし、祈っています。このような中で三つのことを考えます。
第一に神は何をなさっているのか、ということです。多くの人が戦争終結を平和を求めて祈っているのに、神は、祈りに応えようとしておられないように見受けられます。
ローマ 1:18
神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。
今、この状況の中で神の怒りが現されていると解釈することができます。ロマ書1章には、人々が罪を犯すのにまかせる、そういう形で神の怒りが表れると書かれています。物事の解決を対話によらず、力によれば争いが起こりいつまで続くか分からず、人の命も失われていきます。賢い解決は対話による解決です。それをしたくないなら、好きにしたらと神は言われるのです。最終的にどのような結果が生まれるのか分かりませんが、力による物事の解決は愚かなことであると人類が学ぶようにと神は考えておられるのかもしれません。
第二に、罪は人の命を奪うものであるということです。力づくで物事を解決する、あるいは自分の思い通りにしようとする権力者は人命を軽視するという罪を犯していると考えます。権力者の命令で人々が動き、戦いが起こります。相手国の人命が失われ、自国の兵士の人命も失われます。人命を奪う資格を持つ権力があるのでしょうか。「殺してはならない」との十戒の戒めを破る権力者の罪は大きいと思います。自分には他者のいのちを左右することができる権威があるかのように権力者は傲慢になっています。
ルカ 1:51~52
主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、
権力ある者を王座から引きおろし、・・・
神よ、おごり高ぶる権力者たちをその座から引き降ろしてください。そして平和を築く努力をする為政者を与えてください。
第三に主イエスの十字架を思います。神は既に罪からの救いをイエス・キリストを通して私たちに与えておられます。イエス・キリストの十字架がこの世界に輝いています。神を信じることを愚かとする現代人ですが、現代人は戦争という問題を解決できません。主イエスの十字架こそ、人々を罪の悔い改めに導き、平和をつくり出す人を生み出します。救い主イエス・キリストだけが、この世界の救い主であることがいよいよ明らかになっています。