ロマ 8:5 肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。
霊に従う人の特徴として、霊に属することを考えるとあります。霊に属することとは、神に関する事柄、信仰に関する事柄、信仰者としての生き方に関する事柄と考えます。霊に属することを考える時、そこには聖書があります。霊に従う人は聖書を糧とします。聖書を読み、読んだ箇所を思いめぐらし、読んだ聖書の言葉を自分の信仰の歩みの導きの光とします。
ローマ 8:4
それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。
霊に従って歩む私たちのうちに律法の要求が満たされるとあります。私たちの日々の歩みは、ある意味、律法の要求を満たす歩みです。神を愛すること、自分を愛するように隣人を愛することが、私たちの日々の歩みにおいて実践されていくのです。第一の隣人は家族です。
私たちが聖書を読み思いめぐらすとき、私たちの現実をも思いめぐらします。自分がおかれた状況の中で、どのように考え、またどのように振る舞うかを考え、愛の実践につながる歩みを目指します。そこから御言葉の導きとしてあるいは神の導きとしていかに振る舞うかが示されるならそれを実践します。このようにして霊に従う人は、霊の事柄(信仰に生きること、愛に生きること)を考えて歩みます。
聖書の言葉を思いめぐらす歩みの中で、神さまの御心を大切にする思いが育てられます。聖霊の大きな働き、それは私たちが神さまを愛し、神さまの御心に生きる心を養うことだと考えます。神さまの御心に生きることを喜びとする心が律法の要求を満たすことになると信じます。
毎日聖書を読むことを日課としている方がおられると思います。良い習慣を身につけられたと思います。でも日課として聖書を読むことで満足するのではなく、聖霊の導きを祈り、聖書を思いめぐらす時を過ごすことは豊かな時をもたらします。静思の時と呼ぶことがあります。
私が聖書を思いめぐらす中で与えられた大きな変化は、物事を聖書に基づいて考えることです。人生の中で身につけた考え方、思想、経験から得た知恵などよりも、聖書によって考えます。聖霊の導きを祈り求めて聖書を読み思いめぐらします。私は聖書の言葉によって導かれた信仰者人生を歩んできました。神に導かれた人生だと受けとめています。