最近 youtube でよく聞き歌う讃美歌です。
「きたらせたまえ 主よ み国を」という歌詞が繰り返されます。作詞は日本人牧師 由木康です。この方は『讃美歌』の編纂に関わった方です。メロディーは外国の讃美歌から選んだようです。作詞が日本人なので、歌詞が自然に心の中に入ってきます。『讃美歌略解』によるとある夜、主の祈りの中の「みくにをきたらせたまえ」という句から霊感を受け、第一次世界大戦中の経験を思い起こして、永遠の平和が実現する神の国を待望しつつ作った歌とのこと。讃美歌21では494番で歌詞に少し変更があります。
讃美歌228番 ガリラヤの風
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憎み、あらそい、 あとを絶ちて、
愛と平和は 四方(よも)にあふれ、
みむねの成るは いずれの日ぞ、
きたらせたまえ、 主よ、み国を。
現代は戦争の時代と呼ぶことができます。最近は、ウクライナへのソ連の侵攻、テロに対する報復ということでイスラエルのガザへの侵攻と空爆。それぞれ地域的には歴史的な経緯があります。
神がイスラエルの民に与えた十戒には「殺してはならない」とあります。そのイスラエルの首相は空爆によりハマスの幹部を「殺した」と誇らしげに語ります。
あまり報道はされませんが、世界各地で内戦が行われ、犠牲者が生まれています。武力で争えば、多くの生命が犠牲になります。どうして話し合いによる平和的な解決が実現しないのかと思います。やられたらやり返す、という人間の本能に近い欲求が争いをやめることを許しません。戦争には負けたくないとの強烈なプライドが、戦争を指揮する人たちにあると思います。あるいは戦争を指揮する権力者が自分の地位を守るために戦争を遂行することもあります。
話し合いによる解決の場合には譲歩が必要ですから、それが我慢できないという思いもあり、平和が実現しません。神さまは、武力によっては平和は生まれない、犠牲者を沢山生み出して、どんな意味があるのか、戦争を続ける愚かさを悟りなさい、とおっしゃっているような気がします。
ひとりのキリスト者として戦争の終結、平和の到来を祈ります。時に祈ることの空しさを感じますが、「愛と平和は 四方(よも)にあふれ、みむねの成る」日の到来を待ち望みつつ、「きたらせたまえ、主よ、み国を」と忍耐強く祈ります。