今日は私の聖書黙想を紹介します。マタイ福音書10章5節以下です。
マタイ 10:5~8
イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。
むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。
行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。
病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。・・・10:14~15
あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。
はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む」。
イエスは弟子たちにイスラエルの家の失われた羊のところへ行き、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさいと命じました。弟子たちは、病人を癒やし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いました。これらの出来事は、天の国が近づいていることのしるしです。「神はあなたと共におられる」と弟子たちは語り、そのしるしとして癒やしの出来事が起きました。人々は、このような癒やしの中に天の国が近づいていること、つまり神が自分たちと共におられることを見たことになります。
弟子たちのおかげで、病気や悪霊を追い出された人たちは喜んだと思います。でもその中のある人たちは、自分の苦しみが解決したことを喜ぶだけの人もいたと思います。つまり神に対する関心は示さないのです。
また別な人たちは自分の苦しみが解決されたことを喜び、さらに神に対する関心を抱くのです。イエスによって癒やされた人たちがイエスの後についていき、イエスの教えを聞いたことは福音書の他の箇所に書かれています。
今回私の心に印象に残ったのは、段落の最後に書かれていることです。イエスは命じました。「あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい」。続けてイエスは言います。
はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。
福音が宣べ伝えられると信じる人がいるし、信じない人もいます。信じる人は救いに入れられ、信じない人は、神の裁きを受けることになるというのです。しかもソドムとゴモラの地の方が軽い罰ですむというのです。つまり福音を信じない人は、ソドムとゴモラの町がうけた神の罰よりも、大きな罰を受けることを意味します。
福音が宣べ伝えられるとき、信じる人がいれば、信じない人もいます。信じない者たちが神の裁きを受ける者になるとするなら、福音を語ることに大きな責任が伴います。多くの人たちを信仰に招くことができるように福音を、聖書の真理を真剣に、わかりやすく、ていねいに伝えなければなりません。
黙想を終えての祈り
天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。
この箇所を読んで、心に留まったことは、弟子たちが語ったことを聞いても信じない人たちがおり、彼らは裁きの日に重い罰を受けるとの主イエスの言葉です。このことを思うとき、説教者は福音を真剣に、わかりやすく、ていねいに伝えるべきことを教えられます。聞いたことを受け入れるか否かは、聞き手の責任です。でも聞き手が、受け入れるか否かの判断をきちんとできるように、語る者は喜びの知らせとして福音を伝えなければなりませんね。
10月には説教奉仕の機会が与えられているので、説教をすることの責任を深く覚え、祈りをもって準備をしたいと思います。導いてください。イエス・キリストの御名により祈ります。
