「ハイデルベルク信仰問答」と呼ばれる信仰問答があります。キリストを信じる信仰はどのようなものなのかを教えてくれます。使徒信条、十戒、主の祈りについての解説が中心ですが、信仰の良き導き手となってくれます。
問21 まことの信仰とはなんですか。
答 それは神が御言葉において
わたしたちに啓示されたことすべてを
わたしが真実であると確信する
その確かな認識のことだけではなく、
福音を通して聖霊が私たちのうちに
起こしてくださる、
心からの信頼のことでもあります。
まことの信仰は、聖書が神の言葉であると確信する認識と、聖霊によって与えられる神の言葉に対する信頼と言われています。認識と信頼です。神の言葉に対する信頼という点では、聖書から示される神の約束に立って生きることを私は大切にしてきました。
聖書には沢山の神の約束が書かれています。
- イエス・キリストを信じる者には永遠の命が与えられる(ヨハネ3:16)
- イエス・キリストを信じる者は、義とされる(ローマ3:22)。
- 神は万事を益としてくださる(ローマ8:28)
- 神は必要を全て満たしてくださる(フィリピ4:19)など沢山あります。
私がお気に入りの死を越える希望の約束もあります。
フィリピ 3:20~21
しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。
私は若いときこう考えました。死を越える希望を本当に信頼できるようになるためには、この世にあって神の約束に生きる歩みをしようと。この世の信仰生活で、神の約束に信頼していいんだと確信できれば、死を越える希望も信頼できると考えました。神の約束に従う歩みを続けて年を重ね、今はいついのちの終わりの時を迎えてもおかしくない年齢になりました。
では、死を越える希望に全面的に信頼できるようになったのかというと、どうでしょうか。信じたいという思いです。
地上の信仰生活における神の約束なら、信じて大丈夫だという証しを自分はできるし、他の人の証しを聞くこともできます。しかし死んだ人が神の国ってすばらしいよ、と証しをしてくれるのを聞くことはできません。死を越える希望は、ただただ神を信頼して信じるのです。
まことの信仰に生きることができるように聖霊の導きを祈るこの頃です。