神との交わりに生きる、それは具体的にどうすればよいのでしょうか。人それぞれの答えがあると思います。
神との交わりに限らず、夫婦の交わり、親子の交わりで共通していることは相手を愛するということです。それゆえ相手の心を尊重します。また相手のことを知ろうとします。ただ現実においては、人間は自己中心、自分第一になる傾向があるので、相手の心を尊重すること、相手を知ることが不十分になります。
私が神との交わりに生きようとしたとき、神を知る努力をしました。聖書を通して、私たちは神を知ることができます。たとえば聖書を1ページ読み、神さまがどんな方と描かれていたかを考えます。神を知り尽くすことはできません。知りうる範囲で神を知り、神を信頼する歩みに努めます。また人はいかに生きるべきか、神さまがどのように考えておられるのかも知ろうとします。これもまた聖書に書いてあります。
人はいかに生きたら良いのか、それは聖書に書かれています。たとえば、自分を愛するように隣人を愛しなさいとの教え、戒めが聖書に書かれています。私はこれをキリスト者が守るべき教えと理解するのをやめました。聖書を通して神さまが私に語りかけてくださる言葉と理解するようにしました。「私はあなたにこう生きてほしいんだ」と神さまが語りかけてくださっていると受けとめます。これは聖書の教えだから守らなければならないとは考えません。そもそも神さまの教えなら、人間を祝福する教えであり、それを守らなければならないとキリスト者が考えるのは、論理的におかしいです。守りたいと考えるのが自然です。
聖書を通して、神さまは教えてくださるのでそれに従います。また私の方から神さまに祈り、御心に従う努力をします。そのように双方向のやりとりがあり、交わりが成立していると考えています。人生色々なことが起きますが、神との交わりに生きる限り、安心して生きていけます。救われた歩みをすることができます。感謝なことです。