クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

「永遠の命」を信じる(1)

ヨハネ 3:16
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

 礼拝の中で「使徒信条」を告白します。使徒信条の最後に「永遠の命を信ず」と告白します。キリスト者は永遠の命を信じると告白し、死を越える希望を告白します。

 世にある宗教は、何らかの形で死を越える希望を語り、人が死んだらどこに行くのかを語ります。仏教では浄土、極楽に行くと教えられているのでしょうか。

 ヨハネ福音書3章16節は、神の独り子すなわちイエス・キリストを信じる人は滅びることなく永遠の命を与えられると告げます。私は、この言葉は真理であると信じます。

 ヨハネ福音書によると、神が御子を世に送ったのは、御子を信じる者が永遠の命を得るためであるとあります。また御子を信じる者は、永遠の命を既に得ているとヨハネ福音書に書かれています。

ヨハネ 3:36 
御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。

ヨハネ 6:47
はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。

 私はキリストを信じる前は、永遠の命を与えられていませんでした。しかし信じた結果、永遠の命を与えられたと信じます。ただ永遠の命を与えられていることは実感できないと考えています。でも永遠の命を与えられている「しるし」はあると考えます。キリスト者として歩んでいるからです。永遠の命が与えられているので、自分はキリスト者として歩んでいると考えます。自分がキリスト者として生きている、それは永遠の命を与えられている「しるし」であると私は考えています。

 ですから私は、<キリスト者だからこうしなければいけない>と考えるのではなく、<キリスト者だからこうしよう>と考えるようにしています。自由な心で神に従う歩みをしたいと考えています。私は永遠の命を与えられ、新しく生まれ変わったと信じるからです。

秋明菊 近所のお寺の境内で