イエスは十字架で死にましたが、復活しました。弟子たちに姿を現し、弟子たちに福音を宣べ伝えるように命じ、父なる神のもとに帰りました。
コリント一15:20
しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
コリントの信徒への手紙一15章は復活について語る章です。20節は、キリストの復活は初穂だというのです。初穂に続いて次々に実りの穂が生じるように、キリスト者もキリストに続いて死者の中から復活するというのが聖書のメッセージです。キリスト者もまた、復活するのです。
死者はどんなふうに復活するのでしょうか。
コリント一 15:42~44
死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。
キリスト者は、朽ちないものに復活し、輝かしいものに復活し、力強いものに復活するとあります。また霊の体が復活するとあります。
フィリピ 3:20~21
しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。
キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。
パウロはフィリピの信徒への手紙で、私たちは、キリストの栄光ある体と同じ形に変えられるとあります。パウロはローマの信徒への手紙でも書いています。
ローマ 8:23
被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。
この箇所は、復活した私たちは神の子とされるとあります。イエス・キリストは復活し、天に帰りました。そして私たちも復活し、神の子とされるとロマ書は語りますし、フィリピの手紙はキリストの栄光ある体と同じ形に復活すると書かれています。
ヨハネ一 3:2
愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。
キリスト者が復活した時、具体的にどんな存在になるのかははっきりしませんが、御子に似た者になるらしいということは分かります。
ローマ 8:29~30
神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。
神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。
この聖句も、キリスト者は復活して御子の姿に似た者となることを教えています。聖句を列挙して思うことは、復活したキリスト者は欠けのない神の子とされ、天の父と永遠に永遠を過ごすものになると教えられます。
いつの日か、自分が復活した時、自分がどのような姿をしているのか、見るのが楽しみです。