聖書は驚くべきことを語ります。イエスがいつの日か分かりませんが、この世においでになり、この世に終わりが来ると語ります。
現代人の感覚からすれば、信じられない話しです。この世界はいつまでも続くと多くの人は考えていると思います。人の命には終わりがありますが、この宇宙、そして地球、この世界は、永遠に続くように考えていると思います。宇宙の終わりを論じる科学者もいますが、この世に終わりが来るとの聖書のメッセージは、キリスト者といえども、にわかには信じられない面があると思います。
キリスト者である私は、これをどう信じるのかを課題としていますが、まずは聖書にどのように語られているのかを知ることが大切だと思います。いくつか聖句を紹介します。コリントの手紙一15章で使徒パウロは、復活について語っています。
コリント一 15:23~24
ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、次いで、世の終わりが来ます。
「最初にキリスト」、つまりキリストの復活、それは今から2千年前に起きました。いつの日か分かりませんが、キリストがこの世界においでになると、キリストに属している人たち、つまりキリスト者が復活し、世の終わりか来ると書かれています。
マタイ 24:14
そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。
福音が全世界に宣べ伝えられ終わりが来て、神の国が実現するんですよと語っているかのようです。
マタイ 28:20
あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。
マタイ福音書の最後のこの聖句は、主イエスは「わたしは世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる」と語られました。主が共にいてくださることを励ましにするなら、「世の終わりが来る」ことを無視することはできません。世の終わりが来て、神の国が実現するとき、キリスト者は、永遠にキリストと共にいることになります。
キリストの来臨とは直接関係はありませんが、パウロはこのように語っています。私にとっては忘れられない聖句です。
フィリピ 1:21~23
わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。
けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。
この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。