クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

自分の死に備える

 先日タレントの中山美穂さんが亡くなったとニュースで知りました。また今朝は、元アナウンサーの小倉智昭さんが亡くなったとの知らせを聞きました。享年77歳。私は今77歳。年を重ね、いつ来るかわからない自分の死を意識せざるをえない状態になりました。

 いつその時が来てもいいように自分の思いを整えることが大切だと私は考えています。キリスト教では人は死後復活し、最後の審判を経て神の国に迎えられると教えられているので、自分の死に備えることは憂うつなことではありません。むしろ死という扉の向こうに神の国があるのですから、輝かしい世界が待っているということができます。

 死に備えるって何をすればいいのか。これは人それぞれだと思います。「自分が死ぬなんて考えたことがない」と語るお年寄りの方もいました。

 聖書にこんな言葉があります。

ヘブライ人への手紙11:1
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。

 私にとっては、望んでいる事柄とは、神の国に迎えられることです。見えない事実も同じです。信じるとは確信することだというのです。この確信すること、それが私の課題です。信じるとは確信することだと言いますが、信じることと確信することの差はあると思います。現実には、信じていても疑いが伴うことがあります。「本当かな」という思いが湧いてくることもあります

 疑いがあるけど信じるというのが私の現実の信仰のありようなので、確信に至ることが課題です。

 自分が死んだあとのことは、聖書の教えることにゆだねるほかありません。そこで聖書の教えることに自分をゆだねて大丈夫なんだという確信を得るために、若い頃から、これまでの人生、聖書を真理とし、この真理に身をゆだねて生きてきました。聖書の真理に身をゆだねてこの世の生を終わる時がいつ来てもよい、そんな人生を歩みたいです。

 そして今思うことは、自分の生きる目的は、神をたたえることにあると。そして神の御国に迎えられた時、最高の形で神をたたえることができるということ、それを楽しみに生きる時、神の国を確信できるのではないかと思うようになりました。

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